●『後藤新平』ファンクラブ入会

「死んで金を残す者は下だ、仕事を残す者は中だ。人を残す者は上だ」
後藤新平が脳溢血で倒れた日に言い残した言葉だ。
後藤は医者から衛生局長、台湾総督民政長官、満鉄総裁、東京市長、通信大臣、内務大臣、外務大臣を務めた。ボースカウトの創始者でもあり、日本放送の父でもある。
ならなかったのは総理大臣だけと言われた男。
あまりに時代を先ゆく構想の大きさに大風呂敷と揶揄された男。

「会議に出ている以上は下手でもいいから自分の考えを喋れ。黙っているだけの奴は会議に出るな」
彼の言葉は気概にあふれている。
彼の都市計画は先見性に満ちている。
彼の外交姿勢、政治論理、行政改革は今なお通ず。

初の衆議院議員立候補を要請する者に、後藤が返した言葉が
「東京には内容のない政治家が増え、地方の選挙区に居候するものがいる。政党の手先になって身を誤るな」

日清戦争帰還兵の検疫に対して行政手腕発揮し、台湾総督民政長官へ。
施政演説をあえて行わず不言実行。
生物学原則』(無理に変更すれば反発を招く。状況に応じた施政が必要)に則った麻薬駆逐方法は大胆かつ現実的だった。阿片を禁止せず許可制にし、高く課税して徐々に減らす。
大幅な人員削減と組織の簡素化で経済改革をする。徹底した調査によるインフラ建設進め、『台湾近代化の父』と呼ばれている。
1906年、満鉄初代総裁。
「午後3時の人はほしくない。午前8時の人がほしい」と若手起用。
『生物学原則』の則ってインフラ整備、衛生施設拡大。
満州での利益を独占せずアメリカと新たな路線をさぐり反日勢力を弱めようとする。
後藤の外交センスには舌を巻く。
1920年、東京市長就任。震災後の大規模な都市復興計画(幹線道路の整備・公園・区画整理)は世界最大規模。今日の東京の骨格を作る。
1923年、内務大臣としてロシアとの関係修復しようとして日中露の関係の強調を説く。

大胆で先見の明がある、常人ならぬ彼のDNAは孫の社会人学者の鶴見和子、哲学者の鶴見祐輔に脈々と受け継がれている。

NHKの大河ドラマも、手垢にまみれた(歴女の皆さま、ごめんなさい。)戦国時代ばかりでなくて近代史を扱えばいいと思う。後藤新平を主人公にすればきっと『坂の上の雲』のようなスケールの大きいドラマになると思う。
近代史には、膠着した現代にはなかなか生まれない逸材がまだまだ眠っている。
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尚、私、本日をもって後藤新平ファンクラブ入会です。会員は一人(笑)。
ファンクラブ会則:
その1 後藤新平の精神理解に努めること。
その2 いつの日か岩手にある『後藤新平記念館』に行くこと

*有識者(?)に疑問をぶつけた。
後藤新平を研究している人は多い。しかし近代史を大河ドラマで扱うとなると、侵略や植民地政策を描かざるを得ない。「あえて火中の栗を拾う」ことはしないのではという説明だった。
近代史をタブーにせず、どんどんドイツのようにオープンに描いたらいいのにと思う。避けていては何ものも生まれない。
by feliza0930 | 2011-01-31 00:16 | ・SOCIETY | Comments(0)