●後藤新平と官僚達 『復興せよ!後藤新平と大震災2400日の戦い』

最近、後藤新平の名前をよく目にする。
少し前、「小沢一郎、後藤新平になれないか」という雑誌の見出しが目に留まった。
小沢一郎が後藤新平に!?いくら同じ岩手出身と言えどもそれだけではかなり無理があるというものだ。しかし時代は確実に後藤新平を求めている気がした。

日曜、日本テレビの特別番組『復興せよ!~後藤新平と大震災2400日の戦い~』が放映された。
ああ、そうだった!数々の偉業を成し遂げた後藤新平だが、関東大震災後、東京市長となったことを思い出した。
民放と思えぬ(?)骨太の番組であった。最近の民放と言えば、CM収入激減で制作費が節減されているからであろう。芸能人を雛壇に座らせるお手軽バラエティばかり目立つ。こういう番組が放送されるとテレビ局の良心はまだまだ健在なのだなと胸をなで下ろす。

再現ドラマはリアリティーがあった。あまり有名ではない俳優が演じていたのがよかったのかもしれない。新平に関する本は読んでいたが、知らないことも多かった。ドラマのおかげで流れもよくわかった。

後藤は関東大震災後、すぐさま帝都復興計画を立案した。
それは同時に茨の道の始まりでもあった。反対派の為、予算は大幅に縮小され、住民の抵抗で区画整理は進まず、部下の収賄容疑などがふりかかってきた。だが、事業は遂行され計画をたててから2400日後、帝都復興完成式典が行われた。後藤は式典の一年前、自分だけの手柄にならないように功労者の名前を書き記して亡くなった。

新平は午後3時の人はいらないと次々と若手を抜擢していった。
経理局長には十河信二。だが十河は自分の親友、鉄道局始まって以来の天才と呼ばれた男、太田圓三を土木局長に任命しないなら辞めるとまで言い張った。さすがの新平も、若すぎると躊躇していた太田を登用するに至った。
十河は後に「復興の大事業に突進するに至った意気、燃ゆるがごききものがあった」述べている。帝都復興委員会が発足したのは震災後わずか一ヶ月のことだった。

一方、東日本大震災後一年近くたってようやく発足した復興委員会。こんな熱い思いの政治家や官僚が今、いるだろうか。熱い思いをすぐ実行したくても社会が複雑になりすぎているのかもしれない。番組は今の政権に「喝!」を入れているようだ。

太田は橋の再建を任せられた。
彼は「できるかどうかを考えず、美しいと思う橋を書いてください。」と画家たちに隅田川に架けたいと思う橋を描かせた。太田の頭には留学先のフランスで見たセーヌ河に架かる橋があった。計算できるものに計算できない何かを加えるのが文化だと考えていた。

太田は商家生まれ。家族全員が文学に親しみ弟も詩人だ。自身も文学を志すか迷った末に土木工学を学んだ太田ならではの文化論だった。だが贈収賄疑惑事件に巻き込まれ、心を痛め神経症になり45歳で自殺してしまう。

太田が復興を願った橋たちは今も隅田川に架かる。彼が夢に描いたように美しさを競って。
橋のたもとには太田の名を刻んだ記念碑が橋を見守るかのようにひっそりと建っている。
by feliza0930 | 2012-01-25 09:15 | ・SOCIETY | Comments(0)