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●試験日和と『夢のカルフォルニア』

試験を受けた。去年、惜しくも(?)不合格だったので再挑戦だ。
昨日は試験日和だったのだろうか、会場となった大学では福祉、語学関係、工事関係など四つも試験があった。駅からキャンパスまでの通りには専門学校スタッフが立っていて「解答速報します!」のチラシを配っていた。私も受験対策講座の講師から応援チョコをもらった。
大勢の人が大学の門に入っていき、それぞれの会場となる校舎に飲みこまれていった。

試験は・・・昨年以上に厳しかった。時間が足りなかった。いや、たとえ時間が足りたとしても、いくら考えてもわからない問題ばかりだった。まるで歯が立たなかった。

昨年の反省を生かしてそれなりに勉強してきたはずだった。
携帯、ネット、お茶、新聞、机に向かうとつい手が伸びる(笑)私にはまずはいかに集中できる環境をつくるかが大きな課題であった
夜になるとこっくりこっくり、昼間は家で勉強したくない、できない。だったら早朝にと頑張って早起きして勉強してみた。市や近くの大学の図書館にも通った。もっともあまりに暑かった今年の夏、老朽化した図書館ではさほど冷房が効かず体がだるくてうつぶせになって寝た日もあった。図書館の休館日にはファミレスへ行ってフリードリンクでねばった。去年のノートに付け加えて書いたり、弱点補強ノートを新たに作ったり、重要項目を書き出したり・・・対策講座にもいくつか出席した。台所や車の中では重要語句が録音されているCDを聞いた。数年分の過去問や新たに問題集も解いた。解きっぱなしの去年と違って、間違えたところは再度チェックした。試験直前はお茶とコーヒーを入れた二本の水筒にお弁当持ち込みし、図書館で追い込みした。やれることは全てやったと思う。
お陰で点の知識は線になり面になったような手ごたえがあった。

だが、いかに落とすかというのが試験というものである。
試験実施した最初の頃はある程度、暗記したらとれるような問題を出題しても、回を重ねればより難しくひねった問題を出してくる。たくさんの合格者を出したら試験の権威にもかかわるからだ。

昨年は試験を受けた後、勉強をし足りない気がした。
だが、今年は記憶力の低下と怠け心と闘って(時にはくじけて負けそうになったけど)私なりにちゃんとやったのだ。
この試験は私に合わないのだ。そう思うようにした。
●試験日和と『夢のカルフォルニア』_f0234728_2159072.jpg

                                  <博石館の大理石トイレ>

ところで昔、『夢のカルフォルニア』というドラマがあった。覚えてみえる方もおられよう。
堂本剛がこれといって取り柄のない平凡な大学生を演じていた。だが、就職試験に落ちまくり現実の厳しさを知ることになる。落ち込んでいる堂本に、面接の試験官が
「君は試験に落ちて自己否定されたように思うかもしれないけど、そうじゃないんだ。会社が求める人材と君が合わないだけなんだ」と言う。
結局は堂本はその会社に入ることになるのだが・・・
「君は(大して取り柄がないけど)人と人と間にスポンジのように入っていくね」。だからか担当になったのがスポンジ(笑)の営業。春がきて、めでたく社会人となりアパートの外階段を駆け上がる背広姿の堂本剛、バックに流れるのは『夢のカルフォルニア』♪。
冴えない大学生のはずなのに中学生の同級生だった紫崎コウと国中涼子に思われるし、現実逃避した海の家で国中と紫崎と堂本の微妙な関係の三人で働いているし、クドカン(!)が演じる、堂本の兄は世界を放浪して「世界は愛に満ちている!」と叫んでいる変な人だし。リアルなようで妙に現実離れしたところがある変てこなドラマだったのだが、今も残っているのが上司が言った上の二つの言葉だ。

そうなのだ。今、私はこの言葉を噛みしめている。
試験不合格は人格否定されることではない。試験に合わなかっただけなのだ。
by feliza0930 | 2012-10-29 22:15 | ・LIFE