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●法話エンタメ

龍光寺(りょうこうじ)の寝釈迦祭りに行った。
神戸(かんべ)に春がくると言われる祭りだ。
東大寺のお水取りみたいなものだろう。

昨年は微笑膳(みしょうぜん)目当てに出向いた。
鰹節さえ使わない徹底した精進料理、彩り豊かなことに感心した。
ウナギの蒲焼きに見立てた豆腐と茄子、絶対、騙されるほどそっくりだった。
京都で食べればもっと高いだろうに、拝観料込の良心的な価格だった。

龍光寺には16畳もある涅槃図がまつってあり、祭りの三日間だけ開帳される。
昨年、涅槃図絵解法話があると知り、せっかくだからと食事の後、友人を誘って本堂に入った。
説法はもう始まっていた。壁際のソファに座ったが絵が見られない。
場所を変わって座布団に座った。
本山からきたという若い僧は、東日本大震災でのボランティアでの体験を話をした。
若い感性の瑞々しい法話で感動したのに、情けないことに内容を忘れてしまったのだが、(blogに書いておけばよかった。)来年は最初から聞こうと思った。

今年の寝釈迦祭りは好天に恵まれた。参道をひしめく屋台をひやかしながらお寺に着く。やっぱりお祭りはお天気がいい方が気分も盛り上がる。
微笑膳は昨年に比べ心なしかバージョンダウンした気がした。昨年ほど感激しなかったが、初めて食べる夫は満足しているようだった。
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今年は準備万端、法話⇒絵解き法話とフルで聞く気満々で正面ソファに陣取る。
約1時間の法話が終わると僧が変わり、いよいよ絵解き法話だ。
今年は年配の僧が話をする。絵巻に出てくるような迫力のある風貌だ。声も大きい。
聞く者を射すくめるような鋭い眼光で、時々立ち位置を変えながら説法する。
「絵の中にはたくさんの法がある」と言う。絵に描かれている弟子のひとりはかつて
何か月たってもお経が覚えられないほどの愚鈍だった。そこで釈迦は布を渡し客人の塵や埃を払う仕事を言いつける。毎日、塵を払っているうちに「そうだ、塵とは心の塵なのだ」と悟りを開き、高名な弟子になったと言う。
その話を聞き、私は心に積もった塵が少し掃われた気がした。
またこれは絵のどのパートの絵解きか覚えていないのだが、「書き記すことの重さ」の説法もあった。

60代の夫婦がいた。病に倒れた夫を看病していた妻が体の不調を訴えた。
入院してわずか二か月で亡くなった。残された夫は不自由な体ながら、一緒に住もうという長男の誘いを断り一人暮らしをする。しかし三年がたった。一人暮らしはいよいよ無理となった。長男宅に身を寄せることを決める。家の中を片づけていたら鏡台の中に一通の手紙。妻からだった。「私は入院しますが、もう家には帰ってこれないような気がします。息子夫婦に世話になったら、息子は血がつながっていますが、お嫁さんは違います、どうか今までのように勝手なことをいわず可愛がられる年寄りになって下さい。時々私のことを思い出してくれたら幸いです・・・」。これは実話と言う。
妻の気持ちをしたためた手紙を、三年後に読んだ夫。どちらもせつない。涙が出そうになった。

●法話エンタメ_f0234728_1238384.jpg

このお坊さんはちょっと生臭と思われるかもしれないがと前置きし、『布施』について話す。布施とは大事なものを捧げること。皆さんはお賽銭にお札を残し、小銭を入れるが、それでは・・・いやそれでもしないよりいいのだが・・・
本堂は賽銭箱の奥。その時、賽銭箱に小銭を入れる音。漏れる失笑ですね。これはどうでしょうかね。この話は少し蛇足・・・・

とはいえ、涅槃図を棒で指しながらの熱演説法に時には笑い、時には涙ぐむ。
このかんじ、寄席で聞く落語や講談に似ていないこともない。

葬式仏教として言われ久しいが、しかし寺が寺であったその昔、人々は寺へみんなで連れだって行って、ためになる法話を聞いて、泣いて笑って、心の埃をはらってすっきりして・・・
庶民の娯楽が少なかった時代、寺にはエンタメがあった。
そう!法話エンタメだ!
by feliza0930 | 2014-03-12 12:46 | ・LIFE