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今、世間を揺るがし大騒動になっている佐村河内氏ゴースト問題。
疑惑曲をショートプログラムに使う高橋大輔には堂々と滑ってほしいと願う。
作品に罪はないのだから。

思い出すのは数年前、ある腹立たしい映画があった。事実を婉曲したドキュメンタリーもどき映画。ある人に怒りをぶつけたら「でもね。大事なことは作品に罪はないのですよ」
そうだ。どんなものでもでき上がった作品に罪はない

今回の騒動は、我々がサイドストーリーに弱いことをも浮き彫りにもした。
奇跡の・・・というキャッチコピーには特に注意だ。
やはりNHK特集していた耳の不自由な某ピアニストがいる。インタビューされたファンが目を輝かして「生き方が素敵なんです」と言っていたのを忘れられない。
CDを聞いた。あまりにリズムが揺れていて船酔いしそうになった。感情におもむくままに弾くにも限度があると思った。彼女は今もそうそうたる世界的なオーケストラと共演している。チケットは飛び切り高い。クラシック界も話題性、サイドストーリーが幅をきかす。

今回の騒動も同じ。
全聾の作曲家!現代のベートーベン!
マスコミが一斉に持ち上げ煽った。人々は音楽を聴く以前に感動する準備をしていた。
マスコミに踊らされず、自分の目で耳で判断することの難しさを思い知った気がする。
今年は日本スリランカ国交樹立60周年、そして鈴鹿市制70周年。
知人に誘われ『スリランカ・フェスティバル』の舞踏公演に行ってきた。
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チャンナウプリ舞踏団はスリランカでも有名な舞踏団らしい。ありがちな観光客目当てと思っていたらとんでもない、レベルの高さに驚いた。来日14回目。いつも新作をもってくるそうだ。
総勢15名。女性ダンサーの美しいこと。スタイル抜群。衣装もきらびやかで目でも楽しませてくれる。
男性の方はなよっとした動きの印象。ドナルドダッグのようなコミカルな腰の振りもあって一人でクスクス。
途中、ナマハゲみたいな仮面をかぶって後部客席扉から登場した。「きれいね」「暑いね」と階段を下りながらお客をいじって最前列へ。座っていた女子高生を舞台に上げてダンスという余興もあった。
スリランカの打楽器を操った太鼓チームはジャズの掛け合いのようなセッション。
ライオンに扮したダンスはラインオンキング風。
恋する教え子に哲学的なアドバイスするダンス教室の師。そんな劇仕立ての舞踏は現代的な音楽が使われていた。公演はバラエティーに富んだ演目であった。

太鼓の音が佐渡の太鼓のようで、盆踊り風ダンスもあったり、演歌風の調べもあって不思議なことに民族芸術はどこか日本と共通のものを感じる。

踊りの合間に来賓あいさつがあった。
スリランカ大使は「サンフランシスコ講和条約の時、日本の賠償を必要ないと最初に言ったのはスリランカ。後のアジア諸国もそれにならった」「東日本大地震で多くの大使館の人間は一時帰国したが、スリランカだけは逃げなかった。」などなど出てくる出てくる。アピールが凄いのには驚いた。
これが外国で日本大使がイベントに出席した場合どうなるだろうか。
例えその国に多くの援助をしたとしても「日本が〇〇国に微力ながらお役に立てることができて光栄です」と控え目に言うのではないだろうか。
これからの国際外交、スリランカのような強気なところが日本に必要なのかもしれないと思った。

f0234728_21514559.jpg←<フェスティバルでもらったお土産の紅茶>









<スリランカ瓜 別名ヘビウリ>下は胡瓜。
今後、鈴鹿市から発信する予定の野菜である→f0234728_2152324.jpg
翌朝、大阪は快晴。草間彌生展に行く。
直島のシンボル、黄色に黒の水玉のカボチャを制作した人、病気と闘いニューヨークで才能が花開いた人。
大阪国際美術館に赤と白の巨大な水玉がぷかぷか浮かんでいる。ガラス張りの屋根なので青空に映える。
チケット売り場は既に列ができている。入り口で作品タイトルの書いたチラシをもらう。
展示には題名も説明もなかった。あるのは年表くらいだ。
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岡崎市美術博物館での村山槐多展は、作品一つ一つにとても丁寧な解説文がついていた。絵を見終わったころには、絵よりも槐多の人となりの方がしっかり頭に残っていた。あとで図録『村山槐多の全貌』を買い求めた。解説は、岡崎美術館が槐多展にあたって発行した図録から全てとったものであることがわかった。ぎっちり詰まった文字、ずっしり重い図録から槐多研究ならどこにも負けないぞという美術館の気合いがひしひしと伝わってきた。

一方、草間彌生展はタイトルを知りたかったらチラシを見ればよいという趣旨なのだろう。私はチラシを見なかったお陰でタイトルから影響されずにすんだ。もっとも草間の絵はタイトルを知ってもわからなかっただろうが。
点点点、線線線の絵ばかり集めたコーナーがあった。そこからは山下清、ゴッホに通じる病的なものを感じないわけではなかったが・・・・ポップでカラフルな色使いは中南米の絵画のようで楽しく、巨大なチューリップ(?)の部屋はまるで不思議の国のアリスに迷い込んだようだった。
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見に行く前は頭が痛くならないかなと少し心配だったが杞憂に終わった。草間彌生の世界で遊ぶことができ、なかなか楽しい展覧会だった。小さな子供も目を輝かしていた。撮影可能な作品の前では家族やカップルが思い思いのポーズをとっていた。

草間彌生の作品はデザイン的にもグッズ向きなのだろう。絵はがきを買うにも長蛇の列だった。f0234728_22142273.jpg
その壁画はずっと前からそこにあったみたいだった。もはや風景の一部となっていた。通勤帰りの人たちも壁画にことさら注意を払わず急ぎ足で通り過ぎる。

岡本太郎の『明日の神話』はJR渋谷駅と京王井の頭線渋谷駅の2Fの連絡通路にあった。JR渋谷駅に降りればすぐわかるだろうと思っていたが、標識もなく結局JRの駅員さんに尋ねた。壁画は思っていたよりかなり高い位置にあった。壁画を見上げカメラを構えているのは私一人しかいない。人の往来の邪魔にならないように後ろに下がったが、壁画は大きくてとてもカメラにおさまりきれなかった。ここは普段、美術館に行かない人の目にも触れるようにと岡本敏子がいくつかある候補地から選んだ場所である。
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壁画と反対側は一面ガラス張りとなっていて雑踏が見下ろせる。外は雨だ。スクランブル交差点が真下に見える。人・人・人。傘と傘がぶつかるように四方八方にうごめいている。

f0234728_23514916.jpgスマホで行き先を入力するが、さて、私はどの道を行ったらいいのだろうか。おのぼりさんの私は傘で溢れるスクランブル交差点で途方に暮れる。そうだ!渋谷!まずはハチ公のところに行こう。



<ラブリーなハチ公>
f0234728_16284269.jpgポロックは私にいろいろなことを残した。

なぜポロックの絵がわからないのか?
そもそも抽象画とは何だろうか?
ピカソには形が残っているが、ポロックには形さえもない。

ポロックは若い時から強度のアルコール依存症だった。心理セラピーを受け一時克服したようにみえたが、再発した。そしてそれが結局、命取りとなってしまった。
ポロックに限らず画家はなぜ病んだ人が多いのか?
病んでいるからこそ普通の人が見えないものが見えるのか?バランスを欠いた精神が芸術に昇華させるのだろうか。
考えるきっかけをくれたという意味では私にとってそう、確かに「ピカソを超えた」のかもしれない。

CDもポロックの置き土産の一つだ。
ポロック展の会場ではポロックが好きだったジャズを収めたCDが売っていた。迷ったが次に美術館に行ったときに買えばいいと思った。どうせアートショップで売っているだろう。
展覧会が終わってショップに行った。品切れだった。入荷予定もないとのことだった。
そうなると俄然欲しくなるのが人の常?次の開催予定の東京国立近代美術館に尋ねてみた。
「CDはこちらに入るかどうかわかりませんが、入ったとしてもネットでは受け付けません。来館してください」ごもっともごもっとも。
「ニューヨーク美術館(MoMA)が監修したCDですのでMoMAのHPをご覧になったらいかがですか。扱っているかもしれませんよ」。ニューヨーク?トンデモナイ。
私はまだタカをくくっていた。Amazonにあるだろう。確かにAmazonであるにはあった。但しアメリカのAmazonだ。一体、郵送料がどれだけとられるやら。

しかし検索の女王(笑)はあきらめません。こうなったら意地です!
ついに関東圏の某美術館のアートショップで扱っていることを発見!
メールで問い合わせした。ところが戻ってきた返事は「在庫がなくなったのにHPを消していませんでした」だった。何日か過ぎた。そこのHP見たらまだのっている。入荷したのだろうかと思い再びメールしてみた。
そしたら、なんと家に電話がかかってきたのだ。
「以前、問い合わせしていただいた方ですね。すみません。まだHPから消していません。あれから探されましたか?」
私はあちこち探したけどとても手に入りそうもないと言った。
「わかりました。もし入荷したら連絡しますね」
だが、儀礼的な返事だと思い私は期待していなかった。
ところある日、美術館から思いがけないメールを受け取った
「入荷しました!ご購入先をまだお探しでしたらどうぞご利用ください。」
メールを受けたその日に代金を振込んだ。金曜日だった。土日が入っていたのにCDは月曜日に届いた。美術館のパンフレットも同封してあった。
丁寧で迅速な対応に感激してしまった。
「機会があったら是非そちらに寄らせていただきます」とメールでお礼を書いた。
またまたすぐに返事がきた。
「無事商品をお届け出来て何よりです。今後の励みとなる嬉しいお言葉をいただきありがとうございます」

無機質に見えるポロックの絵から素敵な美術館を知った。
これもポロックの置き土産である。
ポロックはジャズ愛好家だった。彼のアトリエには膨大な数のジャズレコードのコレクションが残されていた。
やっと手に入れたポロックJAZZ(彼のコレクションから選んだCD)を聞く。
アナログな音がどこか懐かしい。
部屋にレトロな空気が流れる。
革新的だったポロックの技法も今はレトロになっているのだろうか。
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今年はポロックをはじめいくつか絵の展覧会に行った。
どの展覧会も、熱心な学芸員のお陰か、絵の隣には解説がついていた。
会場をまわりながら私はだんだんわからなくなってくる。
私は絵を見ているのか、解説を読んでいるのか。

そんなことをこのところ考えていたら、今朝の朝日新聞で『絵を見て磨く語る力』の記事を見つけた。去年、大阪国立国際美術館で見た『風穴もう一つのコンセプチュアリズム』を思い出した。どうやら「対話型鑑賞法」と言うらしい。ゴッホを使っているところも同じだった
大阪のはタイの農民に絵を見せて自由に語らせているが、記事では中学生だ。
作品の背景を教えず自由に感想を言わせると他の人の意見も聞くという言語活動にもつながり、他の教科にも応用できるとあった。

教育的効果はこの年になってともかくとして(笑)これからはシンプルに絵と向かい合いたい。時代も作者の背景も考えずに絵と真っ白な気持ちで。解説はそう、できれば二巡目に。
138億円!
例のポロックの絵についた価格だ。
私が住む地方都市年間予算の何と1割以上である。たかが一枚の絵だ。正気の沙汰ではない。これは一体、どういうことなのだろうか。
そんな私の疑問に『Newsweek(日本版)』は親切に答えてくれた。

今、Newsweekを予約購読すると割引になる上、特典として『エコバッグにもなる超撥水バッグカバー』をもらえる。外側が黒くて内側がピンク色のバッグだ。例えば、外国に行くとする。飛行機の中ではカーディガンや手荷物を入れる。向こうについたらショッピングバッグとして使える。観光先で雨が降れば皮のバッグが濡れないように入れることができる。そんな便利なバック、見たことがない。私は『バッグカバー』*とやらを是非とも欲しくなった。それにNewsweekを読めば世界の出来事もわかる。いや、その時の私は、バッグももらえるし、世界も知ることができるだった。

待ちわびていたバッグカバーが、本と別送でようやく届いた。あれ?思っていたより包みが軽い、小さい。嫌な予感がした。包みを開けた。あちゃー!想像していたのと質感が違う。安っぽい。でもちょっと考えればわかるもの。所詮おまけなのだ。直ちにリサイクルショップいきの箱に直行だった。

私の落胆を知ってか知らずかNewsweekは毎週、我が家に届く。私はパラパラとめくっては世界の動きを知った気分になっている。
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<刈谷・フローラルガーデンよさみ>

そうそう、話は常軌を逸した値段の、絵のことだ。
Newsweekにはいろいろ理由が書いてあった。万が一、値段が下がっても絵の価値は何ら変わることはない。しかし値段が上がれば価値は上がる。
ブラジル、中国などの新興国が買いあさっている。
評価が定まっている古典より現代アートならショッピングの興奮が味わえ自分でトレンドを作れる。
そして一番納得したのがコレだ。
「例え汚い手で儲けたお金でさえ芸術品を買うと文化のパトロンになった気がする。ヨットを買うのとはわけが違う。」


*大きめのエコバッグなら『バッグカバー』になると後から気づいた。008.gif
「靴と缶ビールとタイヤホイールと落ち葉」に至る道がドキュメンタリー映画『ポロック、その愛と死』(BBC制作)によっておぼろげながら見えてきた。

戦後のニューヨーク、アートの中心を担っている画家は殆ど外国人だった。アメリカ人のスーパーヒーロー待望論の中で登場したのがポロック。ポロックはマスコミに祭り上げられ次第に自分を見失っていく。
誰もが振り向く若い女を愛人にして自己顕示欲を満足させる。画家がたむろするバーに連日繰り出し深酒をあおる。妻が勧めたドキュメンタリー出演も彼を追いつめるものとなった。カメラの前で技法をさらけ出され、彼は裸にされてしまった。映画には欠かせない演出もポロックには不本意だった。前作以上の作品を描かなければというプレッシャー。彼を追いかけるモダンアートの作家たちによる批判が彼をますます傷つける。

ポロックは再びアルコールに溺れていき、制作もできなくなっていた。そんな彼に絶望し妻は去っていく。
そして・・・あの悲劇が起きた。愛人を同乗させ飲酒運転の果ての木に激突。即死だった。一命を取り留めた愛人は「もしあの時、私が運転していたら、もしあの時、お酒を飲んでいなかっら・・・だけど言っても仕方がないこと。彼の死はロマンチックな死だったわ」

アメリカに持ち上げられ、追いつめられた44歳の人生。
「畜生!ピカソが全部やっちまったじゃないか」とポロックはピカソの画集を投げ捨てたと言う。
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無造作に塗料を投げつけただけのように見えた絵も、ピカソを超えるに超えられなかったポロックの魂の叫びのように見えてきた。
生誕100年ジャクソンポロック展』に行った。
「ピカソを超えた男」とコピーが踊れば、煽りに乗せられやすい私は行きたくなるじゃないですか?
ましてや「一生に一度の歴史的展覧会。見なかったことを後悔してほしくない。」とまで書かれたら、ハイ、私、後悔したくありません。

が、しかし・・・
私は正直だから(ホント?)、素人だから言うのだけど、超えていません。
その昔、ピカソ展に行ったけど、本当に見応えがあった。ピカソはやっぱり凄いと思った。

もし家に16畳くらいのアトリエがあって、床にキャンパスをいっぱ広げて適当に塗料をまき散らしたら・・・私もピカソを超える?!冗談ですけど。
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戦後、一躍ニューヨークモダンアートの寵児となったポロックだが、作品の行き詰まりで再びアルコール依存症に。妻との関係も悪化。若い愛人とのドライブで飲酒運転の果てに木の幹に激突し脳挫傷で即死。44歳の早すぎるピリオドだった。事故現場に残された靴、命を奪った缶ビール、外れたタイヤホール、積もっていた落ち葉を再現した展示がポロックの人生の最期のように出口近くにあった。

村上槐太といい、どうして芸術家の最期はこう悲惨なのだろう。

ポロックを描いた映画があったので借りることにした。
「靴と缶ビールとタイヤホイールと落ち葉」に至る人生が果たして映画からわかるだろうか・・・。
f0234728_19364294.jpg動物のようで人間で
人間のようで動物な
イケムラレイコの世界

頭だけの彫刻、頭無しの彫刻
連想する
アユタヤ遺跡の仏像
はたまた猟奇殺人か

わざとぶれさせたうつ伏せ写真は
霊のよう
背筋にゾクっと寒気が走る

キャベツをくりぬいたような
空っぽな頭の彫刻は
何を意味するのか

イケムラレイコのファンタジーは
スピリチュアルでミステリアスで
・・・そしてちょっとグロテスクだ。


【DATA FILE】
三重県出身。大阪外大西語科卒業後、セビリア美術大学で学ぶ
スイスからドイツに移り住み、現在、ベルリン芸術大学教授。
ベルリンとケルンを活動の拠点にしている。