カテゴリ:・BOOK( 7 )

将来にむかって歩くことはできません。
将来にむかってつまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。
<カフカ>

最近、『100分de名著』(NHKEテレ)を見始めた。
できれば読まないで本のエッセンスが知りたい(笑)怠け者の自分にピッタリの番組だ。25分×4回=100分で名著を読み解こうという趣旨である。MCはNHKアナウンサーと伊集院光(!)。タダの大食いタレントかと思ったら大間違いであった。言葉と会話のセンスが際立っていてNHK起用大成功!5月はカフカの『変身』。
『変身』は不条理なストーリーだ。後味の悪いラストになぜ読んでしまったかと後悔する類の小説ではあるが、実は作家カフカは『絶望名人』であると言うから驚きだ。

世の中は「前向きになろう」スローガンだらけだ。書店に行けば「前向きに生きる」マニュアル本がたくさん並んでいる。ポジティブシンキングはまるで現代の宗教のようだ。
でも本当にどん底にいる時はそんな言葉は響かない。ポジティブになんて到底なれない。そんな時、ネガティブな言葉が力になるという。
カフカほど自分の弱さに絶望し前に進もうとしなかった人はいない。カフカの突き抜けた絶望感に満ちた言葉を目の前にすると、まだまだ自分には余力があると思える。カフカは弱っている人に手を差し伸べたりはしない。気持ちに寄り添い一緒に泣いてくれる、カフカの一字一句にどれだけ慰められたか・・・
21歳で難病を発病し13年もの間、闘病生活を余儀なくさせられたゲストはそう言う。彼はカフカのネガティブな言葉の力に魅せられ、ついにはカフカ専門家になり本を出した。それが下の『絶望名人カフカの人生論』である。どうです?このインパクトのあるタイトル!まさしくネガティブパワーの結晶だ。
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「ネガティブさからもパワーを得られる」「弱さは武器となりうる」
ポジティブシンキングの呪縛から解き放されるようで、私は気持ちが軽くなった。
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<岡崎総合公園 風車>

「思い出はあまり完璧なものより、多少間が抜けた人間臭い方がなつかしい」
向田邦子の「父の詫び状」にある一節である。

自分の文章が、いつも自分で何を書いても自分でほとほと嫌になる時がある。
この「うんざり感」を打破するには・・・
人は「よい文に触れよ」「写経のように写せ」と言う。

そこで私は読書家の友人に本を勧めてもらうことにした。
それが『父の詫び状』だった。
彼女は向田邦子の本を脚本をはじめ読破しているらしい。
本が届いた。何気なく開いたページに「思い出は・・・」の文があった。

昨日はあまりに自分の能力のなさに落ち込んだ一日だった。
脳内で勝手に「思い出」を「人」に置き換えていた。

涙で文字が霞んだ。
このところX-Factorばかり書いていて他に考えることはないのかと言われそうだが、実はX-Factorは試験勉強のストレスからの逃避でもあった。

何十年かぶりに机にかじりついた勉強はさび付いた頭にはなかなか厳しいものだった。それに、わずか三、四ヶ月の付け刃の勉強なんて結果は待たずともわかるようなもの。
だが収穫が全然なかったわけではない。

一つは知識とは何かと考えたことだ。
知識は点ではない。点だけでは単なる物知りにすぎない。点と点はつながって線となり、線は重なって面となる。面は他の面とどこかでつながり固まりとなる。固まりは動きながらまた新たな面をくっつけていく。
線からできた面を、固まりを、その動きを、わかりやすい言葉で人に説明できてこそ初めて知識といえよう。

私は点学習で終わっていた。単語カードで必死に暗記しようとした点は、頭の中で飛び交っていて面はおろか線にさえなかなかなろうとしてくれなかった。

もう一つは国語力の重要性に気づいたことだ。
ある程度の年齢でゼロから始める外国語学習と違って、国語の力は生まれたときからの積み重ね。貯えてある言葉から瞬時に選んで使う。知らない言葉に出会ったら脳をフル活動して推測する。
言葉のセンスも国語力だ。考える力も国語力。言葉を組み立てて理解していく。社会も理科も数学でさえ国語力が基礎となる。

読書は国語力を培うのに最善の方法だ。Blogでたくさん本を紹介している人を見るとえらいなぁといつも感心してしまう。あまり本を読まない自分が時々、薄っぺらな人間に思えてしまう。国語力は一朝一夕にはつかない。読書量の差は大きい!
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(地中海村のライブラリー入口)

小さい子供をもったお母さんに私は声を大にして言いたい。
英語を習わす前に、本を読んであげなさい。本を読ませなさいと。
日本語以上に外国語で表現することは無理なのだから・・・・
小学校で習う漢字数だ。
この1006字の漢字が全て読める『漢字童話』がある。
テレビの情報番組で「漢字を楽しく学べる本」として紹介された。
副教材として使っている小学校もあるらしい。
この本はそれぞれの学年で習う漢字を使った6つの童話で構成されている。

f0234728_9303178.gif『ぽん太と海の町』(2年生漢字160字)
<あらすじ>
小学三年生のたぬきのぽん太の話だ。
ぽん太はお父さんお母さんお兄さん、お姉さん、弟と妹の七人家族だ。京都から電車で二時間ほどのたぬき村に住んでいる。日曜日、外が真っ暗になるまで友達と遊んでいたぽん太が家に帰ると誰もいない。寝ずに待っていたが、朝になっても帰ってこなかった。毎日村中を探しまわり、尋ねまわった。ぽん太はご飯ものどに通らず、やせてきた。
秋になった。お母さんが夢に出てきた。お母さんは「海の見える山に住んでいるからおまえもおいで」と言う。
「どこの山?」と叫んだが、お母さんは消えてしまう。ぽん太は山に行こうとする。町に出た。大きな電車が目の前を通り過ぎる。びっくりしてしりもちをつき、こわくて歩けない。思わず「お母さん、お父さん、こわい」。すると「ぽん太」という声。たくさんの影も近づいてくる。お父さん、お母さんに兄弟たちだった。「ごめんね。あの日、狼におそわれて逃げるしかなかったんだよ。何日も逃げてこの町まできたんだ。でもおまえのことは一日も忘れたことがなかったんだよ。」
みんなで抱き合って新しい山の新しい家へ帰って行きました(終)
最後まで読んで仰天してしまう。これって童話ですかぁ?私のセンサーが感知する。あることを連想してしまう内容。
もしやと思って三年生、四年生と次々と読み進めていく。

f0234728_9335044.jpg『地球を救え』(4年生漢字200字)
身を粉にして働き病に倒れた母を見て「お母さんはあの工場に殺されたようなものです。」童話らしからぬ言葉が目に入る。21世紀に起きた悪い事例を書いた辞典をもって未来社会に飛ぶ少年と医者。未来の子供たちに自分たちばかりよければいいという考えをやめること、争いをなくすことと説く。考えがゆきわたった頃、戻ってみると住みよい社会に変わっていった。


『ミステリーランド』(5年生漢字185字)
f0234728_21175622.jpgカセットデッキが壊れる。お父さんは「ああ○○製か」とつぶやく。みんなの残したご飯を食べ猫のタマはますます肥える。テレビのニュースに「道徳教育の必要なのは政治家ではないか」とお父さんは文句を言っている。(この台詞もスゴイ)
友喜は遊びに出かける。そこで見た一枚のビラ「夢の国へご招待、一日体験コース」。
友達と探しあてた夢の国。豊富な資源。災害もない国。国民は資源を保護し効率よく使う。個人の責任でものを大切にするのが常識の国だった。国営食堂で案内人のスズキさんから話を聞く。友喜はもらった全国共通の小学生半額券で食事した。家に戻ったらカセットデッキはなおっていた。友喜は夢の国でもらった、みんなが幸せに生きるための本「夢の国の築き方」を開いた。

私の疑惑(?)は確信に変わった。
果たして、この出版社は某政党の本を数多く出しているところだった。それぞれの学年の学習する漢字で話を作るアイディアは決して悪くないと思う。だが理想社会の実現という思想を色濃く打ち出したこのような童話を、子供たちがどう読むのだろうかとても気になる。単なる漢字学習教材としてそこまで考えることはないのだろうか。
東日本大震災で一冊の本が注目を浴びている。
第二次世界大戦下、ナチスの強制収容所に送られた精神科医V・E・フランクルが書いた本『それでも人生にYESと言う』だ。

母を失い手足がもぎれたように感じでいるのに、震災で家族を一度に失い、家を失い、仕事を失った人達の悲しみはどれほどの大きさなのか私には想像することさえできない。

今ほど「生きる」意味が問われている時はないだろう。
フランクルは本著で一つのエピソードを紹介する。

無期懲役を受けた黒人が囚人島に移送された。しかし黒人が乗っていた船が火災が起きる。彼は救助活動し、10人の命を救う。そのお陰で黒人は恩赦が認められた。
乗船前には彼は人生に何の希望も見いだせなかっただろう。しかし思いがけない出来事が人生を変えてしまう。このように私たちが人生を見捨てたくても、人生は私たちを見捨ててくれない。最後の最後まで何が待ち受けているか誰にもわからないとフランクルは言う。
晩年、生きる目標を失ってつらそうだった母に読んであげたかったとつくづく思う。

人はどんな苦悩の中でも人生にYESということができる。
強制収容所で生き抜いたフランクルの言葉は、人生を変えるほどの力がある。
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*この本を紹介してくれたfu-minさんに感謝です。
米原万里は『ブロードキャスター』でコメンテイターしていたロシア語通訳者だった。
毒舌でも不思議と嫌みのない女性。私が彼女に対して持っていた知識はそんなものだった。

しかし、いつしか番組を見なくなり、彼女の姿も目にしなくなってしばらくたったある日、たまたま入った書店で「米原万里、最後のエッセイ集」という文字が目に飛び込んできた
最後の?!そうか。彼女は亡くなってしまったのか。
そんな年ではなかったのに。少し頭がくらくらしながらも、彼女の最後のメッセージなら読まなくてはと本をレジにもっていったのだった。

心臓に毛が生えている理由』は通訳者らしく、的確かつ無駄のない言葉で書いてあった。もっとも彼女に言わすと「帰国子女なのできちんとした日本語しか書けない」となるらしかったが。
言葉に対する覚悟も感じられ、文体は彼女のコメントと同じで鋭く、またそれが小気味よかった。

本にはロシアで過ごした少女時代のエピソードも入っていた。

ロシアの学校では教科書を音読した後、自分の言葉で要約しなければならない。文字は読めても要約するまでの語彙力がないので、米原は当てられても答えることができない。
一方、図書館には子供たちから「尋問者」と怖れられているドラゴン・アレクサンドリアという先生がいた。本を返却する米原に「誰が主人公なの?何の話なの?話しなさい」と尋問のように聞いてくる。震えて足が立ちすくむのだが、次の本を借りたくて必死で答える。そのうちドラゴン先生に語ることを想定しながら本を読むようになっていった。

ある日、授業中、国語の先生が彼女を当てた。いつものように形だけ当てたのに彼女は答えてしまう。先生もクラスメイトもびっくりする。そう。気づかないうちに表現力がついていたのだった。
今でも面白い本を読むと頭の中でドラゴン先生に語ってる・・・・そんな内容だった。
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さて、私はある人に米原真理の本のことを話した。
するとその人は「米原真理は小説やエッセイも書いているが、一番の作品は書評だ。彼女の書評を読むと本を読みたくなる」と語った。
「書評も文学」と考えたこともなかった私はずっとその言葉がひっかかっていた。
図書館の怖い先生のエピソードも頭に残っていた。
しかし、その二つは私の中で別々にしまわれた記憶になった。

ところが昨日、突然、二つのことが結びついた。
週末の例のブックレビュー番組のせいかもしれない。

そうか。そういうことだったのか。
本の世界に誘う書評にも本と同じように、読み手を惹きつける力がいる。
米原はドラゴン先生による尋問のお陰で『書評力』が身についたのだ。

人は話をすることによって表現力を身につけていく。その力はよき聞き手を得て、更に育まれていくのだ。


あなたの周りには『ドラゴン先生』がいますか?
そして・・・あなたは『ドラゴン先生』になれますか?
まったりした土曜日の朝のことだった。

「ゲゲゲの女房」流れからたまたまつけていたNHKBSで、本の紹介をしていた。
(ふ~ん、こんな番組があるんだ)と何の気なしに見ていたら、一見普通のおばさんが話している。
もっともちょっと考えれば、普通のおばさんがNHKの書評番組にゲスト出演しているわけはないのだが(笑)。
「この本は読む人を選ぶかもしれない。」ここまでは私は聞き流していた。ところが、彼女はこう言葉を続けた。「私は残念ながら完璧、選ばれなかった人だったのですよね。」(ん?何を言い出すのだろう?この人)と私は耳をそばだてた。

「この世界に入れる時と、入れない時がある。昼間読んでいる時は全然ダメだった。」「例えば、」と言って彼女はページをめくる。「『僕たちはズンズン祭りが大好きだ。』この部分で私はこの祭りは何だ?と思うわけ。そこでひっかかって読むのが止まる。だけど、夜、疲れている時に読んだら、ああ、こういうこともあるかなと思う。読む態勢を変えると、読める本なのかもしれない。」

人間もそうだ。この人、ダメ、合わないと思っても、違う場所で意外な一面を見るとこんな人だったのかと思う時がある。本も生き物。読む時間で見せる顔が違うということか。

他のゲストも「音楽を聴いているようだ」とコメントしていた『地上の見知らぬ少年』、面白そうな本だが、『青木るえか』。ふわっと見える外見と裏腹に出てくる独特の直球の言葉たち。タダ者じゃない匂いがした。

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