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授業中、いつも賑やかなスリランカの学生たち。今日は一段とおしゃべりの声が高い。
後ろの席を向いて、四人でずっと話している。
何度、注意してもやめない。
いつもは優しい(?)私も、つい声を荒げる。
「一体、どうしたんですか。おしゃべりは授業が終わってからにしてください」。
すると一人の学生がスマホを見せ「スリランカで大統領選挙があったんです。」
「今、開票の途中で・・・。新しい大統領になりそうなんです」(まだ彼らは来日半年なので、彼らの話を総合して)「新しい大統領はムスリムの人たちが推しています」「スリランカにはイスラムの人が多いの?」と流れで質問する。「多くないですけど、力があるので・・」「で、あなたたちは日本から選挙できるの?」「できません。でもスリランカがこれからどうなるか心配で。」
母国を憂いている彼らに感心するが、「わかりました。でも続きはあとにしてね」

でも、私は考える。日本の学生が留学するとする。彼らは異国の地で、総選挙の行方を同胞と熱く語るだろうか。自民党が政権とろうが、民主党になろうが大して変わらない、そう思うのではないか。いや、総選挙の日さえ頭にない学生も多かろう。
留学生のことは言えない。この間の選挙の投票率は国民の関心の低さを表している!

スリランカの政治は生活に密着している。ムスリムが支持する候補者が政権を握れば、生活がガラっと変わる。極端に言えば命にかかわるかもしれないのだ。

裏を返せば、日本は平和ということ。

休み時間、また別のスリランカの学生たちが集まり、スマホ片手に熱くしゃべっていた。
日本人と結婚している中国人女性が、韓国人女性に尋ねた。
「日本と韓国とどちらが好きですか」
韓国人女性はご主人の仕事の関係で日本にやってきたばかりだ。

2月22日は「竹島の日」。パク・クネ大統領の「陰口外交」。日韓首脳会談が未だ開かれない異常事態。
彼女がどのように応えるか周りも固唾を飲んで見守っていたら・・・
「日本の方が好きです。」
「姑が離れているから(韓国にいるから)」。
一同、大笑い。上手く切り返した彼女の機転に感心した。

歴史解釈は違えど、嫁姑感情は日韓共通のようだ(笑)。
最近、後藤新平の名前をよく目にする。
少し前、「小沢一郎、後藤新平になれないか」という雑誌の見出しが目に留まった。
小沢一郎が後藤新平に!?いくら同じ岩手出身と言えどもそれだけではかなり無理があるというものだ。しかし時代は確実に後藤新平を求めている気がした。

日曜、日本テレビの特別番組『復興せよ!~後藤新平と大震災2400日の戦い~』が放映された。
ああ、そうだった!数々の偉業を成し遂げた後藤新平だが、関東大震災後、東京市長となったことを思い出した。
民放と思えぬ(?)骨太の番組であった。最近の民放と言えば、CM収入激減で制作費が節減されているからであろう。芸能人を雛壇に座らせるお手軽バラエティばかり目立つ。こういう番組が放送されるとテレビ局の良心はまだまだ健在なのだなと胸をなで下ろす。

再現ドラマはリアリティーがあった。あまり有名ではない俳優が演じていたのがよかったのかもしれない。新平に関する本は読んでいたが、知らないことも多かった。ドラマのおかげで流れもよくわかった。

後藤は関東大震災後、すぐさま帝都復興計画を立案した。
それは同時に茨の道の始まりでもあった。反対派の為、予算は大幅に縮小され、住民の抵抗で区画整理は進まず、部下の収賄容疑などがふりかかってきた。だが、事業は遂行され計画をたててから2400日後、帝都復興完成式典が行われた。後藤は式典の一年前、自分だけの手柄にならないように功労者の名前を書き記して亡くなった。

新平は午後3時の人はいらないと次々と若手を抜擢していった。
経理局長には十河信二。だが十河は自分の親友、鉄道局始まって以来の天才と呼ばれた男、太田圓三を土木局長に任命しないなら辞めるとまで言い張った。さすがの新平も、若すぎると躊躇していた太田を登用するに至った。
十河は後に「復興の大事業に突進するに至った意気、燃ゆるがごききものがあった」述べている。帝都復興委員会が発足したのは震災後わずか一ヶ月のことだった。

一方、東日本大震災後一年近くたってようやく発足した復興委員会。こんな熱い思いの政治家や官僚が今、いるだろうか。熱い思いをすぐ実行したくても社会が複雑になりすぎているのかもしれない。番組は今の政権に「喝!」を入れているようだ。

太田は橋の再建を任せられた。
彼は「できるかどうかを考えず、美しいと思う橋を書いてください。」と画家たちに隅田川に架けたいと思う橋を描かせた。太田の頭には留学先のフランスで見たセーヌ河に架かる橋があった。計算できるものに計算できない何かを加えるのが文化だと考えていた。

太田は商家生まれ。家族全員が文学に親しみ弟も詩人だ。自身も文学を志すか迷った末に土木工学を学んだ太田ならではの文化論だった。だが贈収賄疑惑事件に巻き込まれ、心を痛め神経症になり45歳で自殺してしまう。

太田が復興を願った橋たちは今も隅田川に架かる。彼が夢に描いたように美しさを競って。
橋のたもとには太田の名を刻んだ記念碑が橋を見守るかのようにひっそりと建っている。
一限目『イチローの高い年棒はフェアか』 2010年某月 参加者:東大生・一般人
ハーバード大学の超人気教授による対話型講義とはどういうものか、朝日新聞の紙面記事だけはよくわからなかった。

二限目『八百長はいけないか』 2011年某月 参加者:ビートたけし他、お笑い芸人
「(国技なので)インチキは許されない」という意見が多数占める中で「プロレスと同じスポーツなのに相撲だけ特別視は疑問」「八百長は武士の情け」意見も出てきた。サンデルはそこで“八百長”の語源を説明し、「では許される八百長はあるのか。例えば子供と腕相撲してわざと負けるのは悪いか」と問いかける。八百長、絶対NOの私だったが、次第に悪とばかりは言えないように思えてきた。しかし、同時にサンデルはもしかして誘導尋問しているのではないかと疑問も湧いてきた。彼は八百長から政治の公約の嘘、お世辞の嘘までテーマを広げ、「嘘」を考察していったが、正直?の部分もあって、バラエティ番組を見ただけでは、まだまだ彼の力はわからなかった。
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三限目『大震災、私たちはどう生きるか』(NHK)2011年4月 参加者:東京・ボストン・上海の大学生・高畑淳子(女優)、高田明(ジャパネットたかだ)・石田衣良(小説家)・高橋ジョージ(ミュージッシャン)
サンデルは今回の震災で暴動、便乗値上げや略奪が起きなかったことに世界が驚嘆したことをまず述べ、コミュニティのあり方を参加者に問う。ここまでは想定内の議論だった。(な~んだ、サンデル、大したことはない)
だが東電や東京消防庁職員によってなされたような危険な任務を負う人を、どのように選ぶかとなると俄然、議論が白熱した。志願する人か、特定の人が担うべきか、また報酬の有無は?経済的なことを動機にすべきでないという意見がでた。それに対し、義務を負っていない人には報酬が必要だと意見が分かれる。どうしたらフェアに選べられるには結局、結論は出なかった。どうやら結論を出すことはサンデル授業の目的ではなさそうだ。

そして議論は「原子力の未来」と移り核心に迫る。サンデルは次の1か2かどちらの立場をとるか参加者に選択させ、意見を述べさせる。
1.原子力のリスクを最小限にして依存を続ける
2.生活水準を下げ原子力への依存を減らす
ほぼ同数くらいだったろうか。
都会で高層ビルに暮らす人々にとって真夏の酷暑に冷房が使えないとなると生活できない。だから2は現実的でないという意見に、リスクを受ける場所と恩恵を受ける場所が違うのが問題と日本の女子学生が衝く。
飛行機も墜落すれば危ないが使わないわけにはいかない、原子力も同じというアメリカの男子大学生に、女子学生が飛行機事故と原発事故を同じレベルで比べることはできないと鋭く切り返す。このように原子力には議論すべき論点が多くあることがわかる。これも対話型議論の目的の一つであろう。

今回、バングラディッシュやアフガニスタンなど経済的に豊かでない国々や、中国など日本と緊張関係にある国からも支援の手が差し伸べられた。この大震災で国同士の関係が変わるか、サンデルは中国と日本の学生に尋ねる。中国の学生は、今回のことで昔の日本人と今の日本人は切り離すべきではないかという議論が実際ネットで沸き起こったと言う。一方、日本の学生は、中国人に対してイメージは変わったし友達になりたいと個人的には思うが、だからといって国の関係が変わるとは思えないと述べる。

サンデルは18世紀の政治哲学者ジャン・ジャックルソーの次の言葉を引き合いに出した。
「私たちヨーロッパ人は日本で起きた災害に、ヨーロッパでおそった災害と同じだけ衝撃を受けるわけではない」
すかさず日本から反論があった。「ルソーがYouTubeを見てもそう言えるだろうか」
ボストンからも声があがる。「自然災害は人間の力を超えたものだ。国や政府、その対立を超えるものだ。困難があった時、私たちは初めてグローバルなコミュニティーになりうると気づく。地球の反対側にいても私たちは日本人の痛み、苦しみを分かち合うことができる。大災害なのに暴動が起きなかった日本人の功績を人間として誇りに思える」ボストンの女子学生はこう言い切った。私は初めて震災という未曽有の大災害をプラスに捉える考えに出会った。思わず彼女に拍手を送りたくなった。日本には未来がもうないように思え、ずっとずっと悲嘆にくれていたから。

サンデルは番組の最後で結ぶ。
「議論には意見の不一致もあった。だが、今日のささやかな議論が日本人の励みになることを願う。また日本の美徳と精神が世界に大きな意味を持ち、日本の再生、復活につながると信じる」と。
サンデルの白熱授業がなぜ人々に熱狂的に支持されるのか、私はようやくわかった気がする。
「死んで金を残す者は下だ、仕事を残す者は中だ。人を残す者は上だ」
後藤新平が脳溢血で倒れた日に言い残した言葉だ。
後藤は医者から衛生局長、台湾総督民政長官、満鉄総裁、東京市長、通信大臣、内務大臣、外務大臣を務めた。ボースカウトの創始者でもあり、日本放送の父でもある。
ならなかったのは総理大臣だけと言われた男。
あまりに時代を先ゆく構想の大きさに大風呂敷と揶揄された男。

「会議に出ている以上は下手でもいいから自分の考えを喋れ。黙っているだけの奴は会議に出るな」
彼の言葉は気概にあふれている。
彼の都市計画は先見性に満ちている。
彼の外交姿勢、政治論理、行政改革は今なお通ず。

初の衆議院議員立候補を要請する者に、後藤が返した言葉が
「東京には内容のない政治家が増え、地方の選挙区に居候するものがいる。政党の手先になって身を誤るな」

日清戦争帰還兵の検疫に対して行政手腕発揮し、台湾総督民政長官へ。
施政演説をあえて行わず不言実行。
生物学原則』(無理に変更すれば反発を招く。状況に応じた施政が必要)に則った麻薬駆逐方法は大胆かつ現実的だった。阿片を禁止せず許可制にし、高く課税して徐々に減らす。
大幅な人員削減と組織の簡素化で経済改革をする。徹底した調査によるインフラ建設進め、『台湾近代化の父』と呼ばれている。
1906年、満鉄初代総裁。
「午後3時の人はほしくない。午前8時の人がほしい」と若手起用。
『生物学原則』の則ってインフラ整備、衛生施設拡大。
満州での利益を独占せずアメリカと新たな路線をさぐり反日勢力を弱めようとする。
後藤の外交センスには舌を巻く。
1920年、東京市長就任。震災後の大規模な都市復興計画(幹線道路の整備・公園・区画整理)は世界最大規模。今日の東京の骨格を作る。
1923年、内務大臣としてロシアとの関係修復しようとして日中露の関係の強調を説く。

大胆で先見の明がある、常人ならぬ彼のDNAは孫の社会人学者の鶴見和子、哲学者の鶴見祐輔に脈々と受け継がれている。

NHKの大河ドラマも、手垢にまみれた(歴女の皆さま、ごめんなさい。)戦国時代ばかりでなくて近代史を扱えばいいと思う。後藤新平を主人公にすればきっと『坂の上の雲』のようなスケールの大きいドラマになると思う。
近代史には、膠着した現代にはなかなか生まれない逸材がまだまだ眠っている。
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尚、私、本日をもって後藤新平ファンクラブ入会です。会員は一人(笑)。
ファンクラブ会則:
その1 後藤新平の精神理解に努めること。
その2 いつの日か岩手にある『後藤新平記念館』に行くこと

*有識者(?)に疑問をぶつけた。
後藤新平を研究している人は多い。しかし近代史を大河ドラマで扱うとなると、侵略や植民地政策を描かざるを得ない。「あえて火中の栗を拾う」ことはしないのではという説明だった。
近代史をタブーにせず、どんどんドイツのようにオープンに描いたらいいのにと思う。避けていては何ものも生まれない。
「モン族?」と膝を乗り出した私に、店主は『モン族の悲劇』の話をしてくれた。
米国はベトナム戦争で、山岳地帯を機敏に動くラオスのモン族に目をつける。
モン族は特殊部隊として前線にかりだされ、米兵よりはるかに多くの犠牲者を出した。それにもかかわらず米軍撤退後、ベトナムに置き去りにされた。米軍の手先となり、また北ベトナムに住む同族に矢を向けたため、戻るに戻れず社会問題となる。このため一部のモン族はアメリカに移民する。

現在、モン族はアメリカでコミュニティーを造って住んでいる。
グラントリノ』の背景だ。

モン族という呼称は自らも名乗るので蔑称でないが、タイ人は違う名称で呼ぶ。
少数民族は貧しさゆえ差別を受けている。

店主の話は続く。
ある村で「同じ物を10個欲しい」を言ったが、値引き要求と勘違いした村人がどんどん値段を下げてくる。話がかみ合わず平行線で困ったと。
「あら、安くなっていいじゃないですか」と私。
「一個しか買わない観光客ならいいかもしれないけど、自分は買いたたくような真似はしたくない」と店主。
手工芸品の制作の担い手はどの村でも高齢者が中心。後継者を育てる塾に店主は援助をしていると言った。

民族によって刺繍の模様が違う。色が違う。見ていて本当に飽きない。
モン族以外のも見せてもらった。
それはそれは凝っていてまるで美術品のようだった。
最近、アジア雑貨の店があちこちに見受けられる。流行りなのだろうか。
私が住む地方都市にも二、三軒ある。
一軒はチェーン展開さえしている。

タイに行ってわかった。とにかく安い。信じられないほど安い。
そこそこの値段をつけても儲けがでるだろう。

先日、また新たにアジア雑貨の店を見つけた。
中に入るとミニ博物館みたいな品揃えだった。
話好きな店主なのか、ぶらぶら見ているといろいろと教えてくれた。

店主は中間業者を一切通さず、全部一人で買いつけていると言う。
少数民族の住む村にも直接出向き交渉して、工場で作らしているのもあるとのことだった。

タイ北西部には『山岳民族』と言われる少数民族が住んでいる。少数民族のカウントは非常に難しい。
タイには20以上あると言われているが、政府は言葉や宗教、習慣から数グループにわけている。

モン族もそんな少数民族の一つだ。
例の映画『グラントリノ』で、クリントン・イーストウッドの隣家の民族だ。
そこまでが私の持っていた少数民族に関する基礎知識だった。

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(インドのタペストリー)
2・26ではない、2・28
1949年2月28日、台湾全土を揺るがす抗争が起きた。
多くの犠牲者を出したこの事件を風化させないようにと建てられたのが2・28記念館だ。
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私が初めてそこを訪れたのは、数年前の夏のことだった。

2階建ての洋館の記念館には事件の資料や写真が所狭しと展示されていた。
残念なことにパネルには日本語の説明がなかったが、どこからか日本語が聞こえてきた。日本人グループに説明している年配の男性の日本語ボランティアさんだった。私は男性に近づいて「私たちにも説明お願いします」と頼んだ。
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かつては国連常任理事国でもあった台湾は今、国際社会から孤立している。そして台湾国内も揺れている。外省人(中国人)が支持する国民党が政権を握ったからだ。反発する本省人(台湾人)によるデモも起きている。

台湾の将来を憂うボランティアさんの愛国心が胸をうった。そして日本への感謝の言葉が有り難かった。台湾の人たちが親日的というのは、日本統治後の中国との比較が大きいのだと思う。

ボランティアさんとはそれ以降、たまに手紙のやりとりをしている。だがここ1年くらい返事がない。高齢な人なので心配で先日、思い切って電話した。
お元気な声で安心したが、記念館は改修中なのでボランティアはお休みしているという話だった。

なぜ改修中なのかその時、理由は聞かなかった。
が後になって国民党が展示物入れ替えを命じているための改修ということがわかった。しかし改修されればもはやそれは2・28記念館ではないのではないか、と私は危惧している。また真実を伝えようとしているボランティアさん達の胸中はいかばかりか想像に難くない。

民主主義とは体制を批判できる自由が保証されていることではないだろうか。
台湾は一体どこへ向かっていくのだろう?
日本は海に囲まれている国だ。
お陰で海の幸に恵まれ、私たちは一年中新鮮な魚を食べることができる。
だが海に囲まれているということは、こと日本に関しては、困った問題を引き起こす。国境問題だ。
韓国との間には竹島(独島)、中国・台湾とは尖閣諸島、ロシアとは北方領土が横たわっている。

先日、旅行会社企画による北方領土ツアーがあった。北方領土出身者のための里帰りではない。
ロシア側にビザ発行を請求したということは、北方領土を自らロシアの地と認めたと同義だ。
外務省のツアー自粛方針は徹底していない。それどころか追随する旅行会社もあるらしい。困ったことだ。
竹島問題は日韓基本条約ではふれず、先送りにしたのが火種の元となっている。

国境問題は一筋縄ではいかない。
漁業権や資源に関わるからだ。
日本の政権がころころ替わるのも解決を遅らせている。
政治家には外交手腕を発揮し、現実的な解決をしてほしい。もちろん私たちにも知識が必要だ。
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国境問題は外国人参政権にも関わってくると思う。
日本は外国人にとっても住みやすい国にすべきだ。それは絶対そう思う。だが、政治家となると話は別だ。政治家は国益のために働いてくれる人でなければならない。もし外国人に被選挙権が認められたら・・・選挙で選ばれた外国人の自国と日本が戦争したら、そこまでいかずとも国境問題で揺れたら、その時彼(彼女)はどうするか。外国人参政権は議論に議論を重ねばならない。
税金を払っているからと、安易に片づけてはいけない問題だと思う。

一口に外国人参政権といっても、地方自治、国政、それぞれに選挙権、被選挙権がある。どこまで、どの国の人に認めているか国によって違う。

戦争責任を徹底的に追求し認め、移民を積極的に受けいるドイツだがEU加盟国民しか地方参政権を認めていない。国がとるべき責任と、国があるべき政治とをきっちりわけているドイツはすごいなと思う。

日本が日本であるとはどういうことだろう。
国際化を叫ぶ前に考えねばならないことだ。
 「日本人は歴史を知らなすぎると韓国人はよく言うが、仕方がない。日本人は歴史を習ってきていないからだ。」と韓国語の先生に数年前、言われた。
当時の私は『冬のソナタ』をきっかけに韓流にどっぷりはまっていた。ドラマだけにとどまらず映画、音楽にまで興味が広がり、はては韓国語の勉強までし始めた。

もっと韓国理解を深めたいと思う私は、日韓の歴史は避けて通れない課題だった。しかし、それは開けてはいけないパンドラの箱だった。
正しいかどうかは別として、理論武装できるほどの知識をもつ韓国人にたじろぎ、私は蓋をしてしまった。
客観的な歴史というのも疑問だった。歴史は自分の国の目からしか見えないと思っていたからだ。
また、その頃には文化コンテンツを国の産業にしようとする韓国の思惑が透けて見えてきていた。
日本をターゲットにした適正価格でないエンタメ売り込みや、必要以上に韓国モノを持ち上げる日本のマスコミにもほとほと嫌気がさして、すっかり韓国熱が醒めてしまった。。
今も韓国語の勉強は細々と続けているが、前ほどの情熱が持てない。

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今年は日韓併合100年目の年だ。
この夏、NHKスペシャルで『日本と朝鮮半島・日韓関係はこうして築かれた』が放送された。
この番組のお陰で、現在の日韓関係の基本となっている『日韓基本条約』が締結されるまでの紆余曲折が、少し理解できたような気がする。

韓国側の交渉金額が7億、日本側は7千ドルだったが、アメリカの仲裁で無償3億、有償2億となった。それを日本は請求権(賠償金)とせず経済協力として拠出した。当時のアメリカはキューバ危機を抱えていた。それゆえケネディ大統領は日韓問題を早急解決することを望んでいた。
しかし、韓国民は屈辱条約として強くパクチョンヒを非難をし、デモが拡大し戒厳令をひくまでとなった。

日本が経済協力として出したお金は、韓国の経済の発展と立て直しに使われ、個人の保障にはならなかった。
日本企業の資金と技術協力もあり、韓国は極貧国から漢江(ハンガン)の奇跡と呼ばれるほどの経済発展を遂げる。竹島問題は日韓基本条約では敢えて明記しなかった。
その後、パクチョンヒは側近に暗殺される。

なぜ日本は賠償金とせず経済協力費用としたのだろうか。
なぜパクチョンヒはそれを受け入れたのだろうか?
日韓の代表のそれぞれの思惑が絡み合った結果が今の日韓だ。
歴史は後戻りできない。

しかし私は願う。
日韓負のスパイラルから脱却できる日がくることを。
「相手に知的な関心をもちお互いに学びあう」姿勢があれば。