カテゴリ:・LIFE( 76 )

ブログをずっと中断していたのはわけがある。
7月から生活が急変したからだ。

仕事を始めた。
その途端、キャパオーバーになりブログを書く余裕がなくなった。

慣れない仕事で毎晩、熟睡できず
失敗続きで落ち込み
人と比べては落ち込み
能力のなさに落ち込む

浅はかな私はここまで大変だとは想像しなかった。
賢い人なら受けなかっただろう

体力も精神も限界で
一か月もつかと思ったが
今のところは3ケ月近く続いている

週に二日勤務とはいえ
準備に四日かかる。
見合う収入ではない。
でも自分の勉強だと思ってやっている。
時間がいくらあっても足りないのに
取り掛かりが遅く
パソコンの前でうんうんうなって
結局、睡眠時間を削っている
頭を使うことは体に悪いことだ。

周りの人がそろそろ退職を考え始める年頃に
経験のない仕事を始めた。
無謀だ。
ただでさえ記憶力も体力もないのに

だけど・・・
絶対、無理だと思ったことをやっている。
いつの間にか最初のハードルを越えていた。

そう自分で自分を褒めて奮い立たせている。
秋休みまでもうすぐだ。あと少し頑張ろう!
ゴールデンウィークの真っ最中にクリスマス映画の話題で申し訳ないが・・
素晴らしき哉、人生
1946年のアメリカ映画。今なお、クリスマスシーズンになるとアメリカ三大ネットワークテレビ局のどこかで必ず放映される映画である。
何をやってもカスをひいてしまう主人公ジョージが川に飛び込み死のうとしたその時、現れたのが二級天使。
「自分なんか生まれてこなかったらよかった」と嘆く主人公ジョージに、天使は「ジョージが生まれてこなかった世界を見せる」と連れて行く。
どんな人間も多くの人に影響を与えていて、支えられているかをジョージは知ることになる。ジョージは危機も乗り越え、家族と共に素晴らしいクリスマスを迎える。

天使のくれた時間
ニコラスケイジ主演。2000年アメリカ映画。
恋人ケイトと別れたジャックはウォール街で成功を治める。何でも持っていると自負するジャックはクリスマスイブに、奇妙な若者に出会う。若者は「本当にそうか確かめろ」と消える。
ジャックが目が覚めると別れたはずの恋人と結婚している。子供も二人。ジャックはタイヤ会社で働くしがないサラリーマン。戸惑いと苛立ちで生活していくうちに、ジャックは人生で何が大切なことかに気づく。その時、再び現れた若者。「幻想は一瞬さ」と消えていく。元の世界に戻ったジャックがとった行動は・・・
この若者は『素晴らしき哉、人生』の二級天使の現代版。しかしピストルで脅かす荒っぽい行動。天使なのか悪魔なのか。
人はもしあの時、違う選択していたら人生はどうだっただろうかと考える。
だがそこに逃げず、現実と向かい合う大切さを気づかせてくれる映画だ。

死神
落語『死神』(春風亭小朝版)を聞いた。
自殺しようとする男に死神が現れ、「死神が病人の枕元に座っていたら駄目。足元に座っていたら助かるから呪文を唱えて追い払え」と言う。その力を生かし医者になるようアドバイスする。主人公は医者になって大金を得るが放蕩三昧、ついに足元に座っている死神しか見えないようになる。困り果てた男に死神が再び現れ、洞窟に連れて行く。
そこには大量のロウソクが揺らめいていた。人間の寿命だという。消えそうなろうそくからは泣き声が聞こえる。男が継ぎ足すと安堵の声と変わる。今の気持ちはどうかと死神に問われ喜びを感じたと答える。男は世のために生きると決意。消える寸前だった男のろうそくが再び燃える

映画やお話の中で天使や悪魔、死神は表バージョン、裏バージョンで生きることの尊さと価値を教えてくれる。
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<神島・八代(ヤツシロ)神社の絵馬>
龍光寺(りょうこうじ)の寝釈迦祭りに行った。
神戸(かんべ)に春がくると言われる祭りだ。
東大寺のお水取りみたいなものだろう。

昨年は微笑膳(みしょうぜん)目当てに出向いた。
鰹節さえ使わない徹底した精進料理、彩り豊かなことに感心した。
ウナギの蒲焼きに見立てた豆腐と茄子、絶対、騙されるほどそっくりだった。
京都で食べればもっと高いだろうに、拝観料込の良心的な価格だった。

龍光寺には16畳もある涅槃図がまつってあり、祭りの三日間だけ開帳される。
昨年、涅槃図絵解法話があると知り、せっかくだからと食事の後、友人を誘って本堂に入った。
説法はもう始まっていた。壁際のソファに座ったが絵が見られない。
場所を変わって座布団に座った。
本山からきたという若い僧は、東日本大震災でのボランティアでの体験を話をした。
若い感性の瑞々しい法話で感動したのに、情けないことに内容を忘れてしまったのだが、(blogに書いておけばよかった。)来年は最初から聞こうと思った。

今年の寝釈迦祭りは好天に恵まれた。参道をひしめく屋台をひやかしながらお寺に着く。やっぱりお祭りはお天気がいい方が気分も盛り上がる。
微笑膳は昨年に比べ心なしかバージョンダウンした気がした。昨年ほど感激しなかったが、初めて食べる夫は満足しているようだった。
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今年は準備万端、法話⇒絵解き法話とフルで聞く気満々で正面ソファに陣取る。
約1時間の法話が終わると僧が変わり、いよいよ絵解き法話だ。
今年は年配の僧が話をする。絵巻に出てくるような迫力のある風貌だ。声も大きい。
聞く者を射すくめるような鋭い眼光で、時々立ち位置を変えながら説法する。
「絵の中にはたくさんの法がある」と言う。絵に描かれている弟子のひとりはかつて
何か月たってもお経が覚えられないほどの愚鈍だった。そこで釈迦は布を渡し客人の塵や埃を払う仕事を言いつける。毎日、塵を払っているうちに「そうだ、塵とは心の塵なのだ」と悟りを開き、高名な弟子になったと言う。
その話を聞き、私は心に積もった塵が少し掃われた気がした。
またこれは絵のどのパートの絵解きか覚えていないのだが、「書き記すことの重さ」の説法もあった。

60代の夫婦がいた。病に倒れた夫を看病していた妻が体の不調を訴えた。
入院してわずか二か月で亡くなった。残された夫は不自由な体ながら、一緒に住もうという長男の誘いを断り一人暮らしをする。しかし三年がたった。一人暮らしはいよいよ無理となった。長男宅に身を寄せることを決める。家の中を片づけていたら鏡台の中に一通の手紙。妻からだった。「私は入院しますが、もう家には帰ってこれないような気がします。息子夫婦に世話になったら、息子は血がつながっていますが、お嫁さんは違います、どうか今までのように勝手なことをいわず可愛がられる年寄りになって下さい。時々私のことを思い出してくれたら幸いです・・・」。これは実話と言う。
妻の気持ちをしたためた手紙を、三年後に読んだ夫。どちらもせつない。涙が出そうになった。

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このお坊さんはちょっと生臭と思われるかもしれないがと前置きし、『布施』について話す。布施とは大事なものを捧げること。皆さんはお賽銭にお札を残し、小銭を入れるが、それでは・・・いやそれでもしないよりいいのだが・・・
本堂は賽銭箱の奥。その時、賽銭箱に小銭を入れる音。漏れる失笑ですね。これはどうでしょうかね。この話は少し蛇足・・・・

とはいえ、涅槃図を棒で指しながらの熱演説法に時には笑い、時には涙ぐむ。
このかんじ、寄席で聞く落語や講談に似ていないこともない。

葬式仏教として言われ久しいが、しかし寺が寺であったその昔、人々は寺へみんなで連れだって行って、ためになる法話を聞いて、泣いて笑って、心の埃をはらってすっきりして・・・
庶民の娯楽が少なかった時代、寺にはエンタメがあった。
そう!法話エンタメだ!

「私は金メダルを失ったのではない。銀メダルを獲得したのだ」
「私はオリンピックで金メダルをとるのが夢だった。
夢をつかむのがスポーツなら、夢に届かないのもまたスポーツ。
でも、夢をつかむ為に精一杯努力することこそがスポーツなのだ。
私は今まで精一杯努力した。だから夢をつかめなくても悔いはない」
                  (長野オリンピック銀メダリスト クワン選手の言葉)


昨日は日本国民皆ため息をついたが
今日は日本列島に感動の嵐をもたらした浅田真央選手

滑り終え、あなたが流した涙は
金メダルより美しく
きらきらと輝いている

ありがとう。
浅田真央選手とクワン選手のお陰で
今日一日が幸せです


ない!ない!草履がない!
タタキに無造作に脱いである履物から一つ一つ探す。
違う。これも違う。
誰か間違えたのか
隠したのか・・・
古びたサンダルがあった! 仕方がない。とりあえずこれを履こうか。
嫌だ。着物が泣く。
珍しく着物を着て友達に褒められて、さあ、出かけようとしたのに
脱いだ草履がない!

は!そこで目が覚めた。夢だったのか・・・
喉はカラカラだ。
着物なんてずっと着ていないのに
妙にはっきりした夢。

前にも見た。それも一回や二回じゃない、草履じゃないけど靴がない夢。
学校の玄関、体育館の下駄箱。
履いていた靴がなくなり、焦って探し回っている夢。

気になって検索した。
”靴を探しても見つからない”夢の意味は
「社会的な基盤・アイデンティティーや自分の居場所を見出せない状況」

そうかもしれない。今の私・・・

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<クラゲ 京都水族館>
絵の展覧会に行った。
知人の作品が出品されているからだ。
知人に自作の絵の前で解説してもらう。
抽象画を描く人の話を聞くのは初めてだ。

頭に浮かぶ"もやもやしたモノ"を具象化していく。
そこに多大なエネルギーがいり
産みの苦しみが伴う。
知人は言う。

文学もそうではないか。
頭に浮かぶ"もやもやしたモノ"をつかんで
引きずり下ろして
物語を書く

そこまで高尚な芸術でなくても
こういう文章もそうだ。

表現するということは
"もやもやしたモノ"を形にしていくこと。

だが、その前に
自分の中に、どれだけ"もやもやしたモノ"があるか、
そこが一番問題だ。

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<台湾・台中>
金閣寺に行った。
英語、韓国語、中国語のおみくじが置いてあった。
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<裏に日本語訳つき>

試しに英語おみくじに100円玉を入れた。
チャリンと音がしておみくじが出てきた。
”Fairly Good”
裏を見れば『末吉』だった。

日曜日にお寺に行った。
紅葉まつり開催中。
お汁粉を頼んだら、おみくじがお盆に載っていた。
『小吉』だった。

『末吉』より悪い内容に思え
頼みもしないのに
おみくじを持ってきた
お坊さんに腹がたった

境内出口におみくじがあった。
リベンジだ!
受付の人に100円渡し
おみくじを木箱から引く。
またしても『小吉』だった。

ひいてもひいても
格上げにならないおみくじに
八つ当たりする
罰当たりな自分。

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Eさんは歌が嫌い
歌うのも聞くのも嫌い
でも、クリスチャンのEさん
礼拝の賛美歌は?
「・・・・」
口パクかもしれない。

Eさんは英語の国の人。
だけど
8桁の数字だって難なく読めてしまう
漢字の国の人でさえ手こずっているのに。

「学生時代は数学が一番だったんだ」
はにかみながらも少し得意げ。
そんなEさんのたった一つ好きな曲。
Eテレの『2355』のテーマソング。

『2355』は23時55分に始まる。
日が変わるまで5分間の番組に
ポエムが数列のようにつまっている。

介護のお仕事で
夜遅く帰宅するEさん
『2355』で疲れを癒しているのかな。

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<NHK公式より>
「すっごいじゃないですか、日本の製品、使う人の気持ちになって考えてくれる」。私「そうですかぁ。(そんなにほめられることないけど)」「ほら、あられの袋にある三角の切り込み、あれ見たとき感激しちゃって」と日本で暮らす韓国女性が言う。
当たり前すぎる三角の切れ込み。そう言われれば外国のお菓子に切込を見かけたことがない。

そんな話を別の韓国人女性にした。
「日本のサービスは普通ではないと外に出て気づく」と言う。
例えばタクシー、近づけばスーっとドアが開き、降りると自動的にしまる。
たまに自分で閉めようとすると「そのままにしといてください」と言われる。
だから韓国でもタクシーのドアを開けっ放しにして降りてしまう失敗する、と彼女は話す。

日本のサービスは「おもてなし」精神からきている。
商品もサービス精神から開発し、これが日本の産業を支えている。
いわばサービス特化の『ガラパコス』化。
でも慣れすぎると、手や足が退化してしまうかもしれないと思った。
『ほぼ日刊イトイ新聞』のトップに糸井重里がエッセイを書いていた。

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ずっと前から、じぶんに言い聞かせているのですが、
まだまだ身にしみてわかってないことがあります。
それは、「ぜんぶは無理だ」っていうことです。

やりたいことが、いろいろあるのはいい。
頼まれることがいっぱいあるのも、よかろう。
知っておくべきこと、まだ山のようにあるだろうよ。
できなくて恥ずかしい思いをすることもあるし、
得意なことはもっと上手になりたくて、
誰かの力になれたらいいなとも思うし、
健康も保っていたいし、
あちこち旅して見て回りたいし、
ゆっくりからだも休めたいし、
おいしいものも食べたいし、
おしゃれもしたいし笑っていたい。
そんなにいっぱいのこと、できるわけない。

「ぜんぶは無理だ」って当たり前のことなのに、
できている一つ二つのことよりも、
やれてないことのほうを勘定してしまう。
ぼくには、そんなところがあって、
だからいつでも落ち着けなくて、
しかも宿題に追われてるような気分が抜けない。
ほっとけば、そういう感じなのです。
だから、理屈として「ぜんぶは無理だ」と言ってやります。
それでも、スッキリそういうふうには思えてない。
上手に「ぜんぶは無理だ」を実践できてる人もいます。
でも、ぼくはまだまだまだまだハンパです。
他人にも、じぶんにもキッパリと、
有限の実力と時間についてわからせてやらないとね。

そうなんだよなぁ、
永遠に生きられるようなつもりでいるから、
山のように積み上げたやりきれっこない課題を、
あきらめないで積んだままにしておけるんでしょうね。
まずは「ぜんぶは無理だ」、そして、順番をつけること、
決めちゃったらその順番で取り組むこと。
堂々と、自信家のようにふるまい、
じぶんで決めた順番にしたがって平然と休むこと。
簡単だけど、できてなかったことなんだよなぁ。

今日も「ほぼ日」のきてくれてありがとうございました。
「ぜんぶは無理だ」は、ぼくのため君のためのことばです。

<ほぼ日刊イトイ新聞 『今日のダーリン』7月1日号より>
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f0234728_10342075.pngどうですか?いい文ですね。
糸井ってこんな文章を書くんだ。最近はNHKBSでの『月刊やさい通信』で野菜のうんちくを語り、野菜料理に舌鼓をうち、どや顔で(笑)手作りジャムを紹介している糸井しか知らないが、「ぜんぶは無理だ」は今の自分にピッタリのエッセイだった。『今日のダーリン』に気づかされる。
ミシマ社と同じように目次はと探すが『今日の新メニュー』があってわかりにくい。あった!上にコンテンツ一覧。すごいボリュームだ。「著者別」「タイトル順」に「連載開始日」別の索引。確かにここまでしなければお目当ての記事はなかなか見つからないだろう。
私は著者に有名人の名前を見つけ、イトイ新聞が寄稿文で成り立っているのがわかった。
再びミシマ社のWebマガジンに。
気になるコラムをあける。右側に作者のプロフィール欄があるのに気づく。
そこに「イトイ新聞に執筆していた」という一文。
あれ!?かぶっている!

かぶっている執筆者もあるけれど、私は二つのWebマガジンを<お気に入り>に追加した。
これから楽しくなりそうだ。