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「今でしょ!」は去年の流行語。でも、「今」って一体いつ?
「今の電車」は今、乗っている電車ではない。降りたばかりの電車か、目の前を通り過ぎた電車。
この「今」はちょっと前の「さっき」、つまり過去。「今、来るよ」の「今」は「これからすぐ」の未来。
過去の今に、今の今に、未来の今。今がこんなにあるなんて、今、気づきました。001.gif
「のに」を教えた。練習として「暇なのに」の続きを学生に書いてもらう。
「暇なのに、勉強したくない。」うん、これはOK。私もよくわかる。この気持ち。
次に「暇なのに、勉強する。」
う~ん、文法的には間違っていないが、意味がおかしい。「のに」の意味がまだ理解できていないのかなと思い×をつけようとしたが、念のために同僚に聞いてみた。
「あ、それ子供と同じ発想ね」と四人の子供の母の彼女は言う。
(暇な時間は勉強する時間ではない)という前提で生まれる文だと説明してくれた。

意味が通じない作文があったら、後で「どうしてこう書いたの?」
と彼女は学生に聞くと言う。
聞いていくと文化や考え方の違いがわかってくるらしい。
なるほど。まだまだです。私。
皆さんはベトナム人にどういうイメージを持っていますか?
勤勉な民族でしょうか。
しかしステレオタイプな見方はいけない。
それは日本人が真面目で親切というのと同じだ。

今、ベトナムは空前の日本語ブームで沸き返っている。大挙して日本語を学びにやって来る。
だが彼らが希望を抱いてやって来た日本は物価が高い。ベトナムは人件費が安い。そのため日本や台湾、中国などの企業が虎視眈々と進出を狙う国である。

彼らの切実な問題は生活費だ。高い授業料を出してくれただろう親にこれ以上ねだれない。
生活費を稼ぐために必死にアルバイトする。
多くの学生は生活のために学校は出席率を稼ぎに来ているだけ、アルバイト疲れで寝ている。
その上、南国気質。のんびり、競争心がなく向上心も少ない。

彼らに日本語を教えるのは並大抵ではない。教科書は忘れる、ノートはとらない、私語。スマホいじり、居眠りは当たり前。宿題は友達のをうつす。あの手この手と授業に工夫をこらすのだが効果がない。
彼らをめぐる環境を考えると致し方ないのだろうが、頭が痛い。はたしてこれでいいのだろうか。このままだと中途半端な日本語さえも身につかない。
それにもかかわらず全く問題意識をもっていないような彼らを見るとじりじりする。

でも彼らにいいところがある。
飾らない素朴さに人懐っこい笑顔だ。
彼らのバックグラウンドを知りたい。ベトナムという国を知りたい。
秋休み、私はベトナムに飛びます!
まだまだ発展途上の我が日本語ではあるが、厚かましくもボランティアで日本語を教えている。
昨日は「~たり、~たり します」文型、いわば<たりたり文>を学習した。

「もし宝くじで100万円当たったら何をしたいですか。<たりたり>を使って言ってください。」
中国人女性Aさん「シャネルのバックや時計を買ったり、旅行したりしたいです。」
100万円で足りないかもしれないね!
アメリカ人男性Bさん「沖縄に行ったり、残ったお金は友達にあげたりしたいです。」
優しい人柄にピッタリのこたえだ。Bさんの友達になりた~い。
「ではお国に帰ったら何をしたいですか」
中国人「家族とご飯を食べたり、家族と写真を撮ったり、家族と旅行したりしたいです」
アメリカ人「〇〇〇の山に登ったり・・・・」。(←忘れました(^_^;))

底抜けに明るくて冗談ばかり言うAさんの、意外な答えが胸を打つ。

と、この話を別のアメリカ人男性と日本人男性にしたら
「どうしてじ~んとくるわけ?家族に会いたければ会いに行ったらいいじゃないの」「・・・」
「どうしてお金を友達にあげたいわけ?」「・・・」
「僕なら100万円投資するな。安易に入ったお金は安易に出てしまうというからね。」「・・・」

ああ、夢も感動もない。話さなければよかったワ。
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<岡崎・味噌蔵 NHK朝のTVドラマ『純情きらり』撮影地にもなりました>
最近よく耳にするのが「させていただきます」。
あの葉加瀬太郎も「~させていただきます」を連発していた。

シンプルに「~いたします」でいいのに、ばか丁寧な言い方がくどさを感じさせる。
耳障りで、気になって気になって仕方がない。
「説明させていただきます」は「説明いたします」でいいではないか。


「いただきます」はそもそも「もらう」の謙譲語。自分をへりくだった表現だ。
「させる」は使役、もしくは許可を与える言い方。「させる」のは誰か。自分か相手か。相手だろう。
なぜ「させる」を使うのか・・と考え出すと頭がぐちゃぐちゃになる。
誰か私にもわかるように説明してほしい。
井上ひさしは「言葉」の天才である。
標準語制定をテーマに戯曲にするとは普通では到底思いつかない。
さすがに『難しいことは易しく、易しいことは深く、深いことは面白く(愉快に)、愉快なことは真面目に』をモットーとする氏だけのことはある。

明治初め、文部省役人の南郷清之輔は「全国統一話し言葉の制定」を命じられた。お国ことばを統一するとは秀吉天下統一に匹敵する大事業!お里がバラバラの南郷家の使用人、はては泥棒や公家先生など巻き込み・・・抱腹絶倒の3時間、最後はチクッと胸を刺す。
南郷家お抱えカメラマンを語り手(尾張弁)として話はすすむ。清之輔が作詞した「小学唱歌」も随所で歌われて楽しい雰囲気を醸し出す。

どのお国のどの言葉を採用しても不満が残る。ならいっそ新しい言葉を作ろうと使用人にアイディアを募る。採用したら10銭の褒美をつかわす清之輔。
「佃煮」は「しょうゆ煮」と。だがそれはお国ことばを売ることになる。そう言われると、小金は得たが心の呵責を感じていたと使用人。
ならばと花魁言葉を参考に、誰でもわかる平易な言葉を使って8個の文法を定め統一話し言葉にしようとする清之輔。
しかしできた言葉は、何とか通じでもロボットが話すような不自然なもの。とうとう清之輔は精神を病み、作った言葉を壊れたラジオのように繰り返すのだった。

この劇で主に二つのことを考えさせられた。
権力と背中合わせになった標準語制定。
人造語であるエスペラントが浸透しなかった理由。

ラジオテレビの発達、インフラ整備でお国訛りはますます消えつつあり、お国訛りで表していたニュアンスも失っている。言葉の画一化で失ったものは計り知れない。
しかしこれも時代の流れだろうか。

f0234728_1271618.jpg名古屋の演劇人と演出家による名古屋文化基金記念事業。名古屋発の質の高い演劇をリーズナブルな料金で見られた。
各区にあるという名古屋市小劇場、恵まれた環境の名古屋人が羨ましいと思った一日だった。
映画『舟を編むの公開に合わせたとしか思えないタイムリーな放送(NHKBSプレミアム)だった。
辞書芸人、サンキュータツオが講演で、三省堂から二冊の小型国語辞書が出ている、なぜか、同級生で友人だった二人が喧嘩別れをしたからだと言っていたが、その経緯が再現ドラマでよくわかった。

東大でそれぞれ国語学、言語学を学んだ見坊豪紀と山田忠雄は友人だった。
三省堂の面接試験で二時間、辞書作りの信念をアピールした見坊は見事、入社。辞書編纂を任せられ、友人、山田に用例の校正を頼む。こうして世に出た辞書は『明解国語辞典』(略して明国)。
見坊が生涯、採集した用例は実に145万。これは寝食以外の時間を全て費やさないと到達できない数だった。見坊は用例採集に没頭するあまり、語釈に手をつけられず15年にわたって第三改訂版を出すことができない。業を煮やした三省堂の依頼で山田忠雄が主管となる。長年、見坊の助手に甘んじていた山田は、独自の語釈で『新明解国語辞典』を発行。その序文の『見坊に事故有り・・・(辞書を刊行することになった)』の記述を目にして怒り心頭の見坊。
実は『事故』には「都合が悪いこと」の意味があった。見坊が編み出した辞書の『事故』にはその語釈はなかった・・・。見坊はその後、『三省堂国語辞典』(略して三国)に専念。語の解釈の誤解がきっかけで二人は袂を分かち、二度と会うことがなかった。

語釈、用例を通して、二番手に甘んじた山田は積年の恨みを果たす。
上:形の上では共著になっているが(新明解)
実に:助手の職にあること実に17年
不遇:実力は十分にあるのに世間では認められないこと
ふつふつ:・・・欲望・意志・感情などが発酵に発酵を重ね、爆発寸前に至ることを表す

しかし時を経て二人の感情に変化が訪れる
ば:山田と言えばこのごろ会わないな(三省堂国語)
畏友:尊敬している友人
実に:この良友を失うには自分にとって大なる不幸・・・~夏目漱石(新明解)

ことばの魔力に魅せられ、ことばで傷ついた二人だが、心の奥底ではお互いを求め、畏友だと認め合う。だが、もはや紙に書かれたことばでしか対話できない。言葉を生業としているのに学者とはなんと厄介なイキモノなのだろうか。
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<観覧車~刈谷ハイウェイオアシス>
語釈:遊園地にある、子供から大人のための大型遊具。ゴンドラに乗り込み、閉じ込められた空間の中で眺めを楽しみ、空中を一回転して元の場所に戻る。夜の眺めは殊に幻想的。
用例:夜行観覧車
「皆さん、『舟を編む』の映画を見ましたか?
現実は文系男子にはヒロインいない、友達いない、ただ本が増えていく・・なんですけど(笑)ね。」
壇上に国語辞書をズラ~ッと並べて話すその人はサンキュータツオ。
2012年、本屋大賞を受賞した『舟を読む』関連で最近、マスコミでよく見聞きする辞書マニアの芸人だ。
「映画の中でなるべく新しい言葉を入れようとする松本教授がでてくるが、ははぁ、これは私立大学系~三省堂系とピンときた。199●年の話なのに教授の書斎に2004年出版の辞書があった」と辞書マニアならではの細かいエピソードで聴衆を笑わす。

ところで私は今、国語辞書を三冊持っている。『学研現代国語辞典』『小学館国語辞典(子供向き)』と『語感の辞典(岩波書店)中村明』だ。
前の二冊は必要に迫られて買ったものだが『語感の辞典』は朝日新聞に紹介されていて買い求めた。
辞書は客観的に書かれたものと思っていたが、『語感の辞典』は全く異なる。
何時しか:「いつの間にか」の意で、主に文章中に用いられる古風で思い入れたっぷりな表現。

どうです?この主観たっぷりな解釈(笑)。こんな辞典は他にあるまい。

サンキュータツオは早稲田大学で中村明の門下生だった。
「早稲田大学院卒業まで14年かかった。学資借金が500万!まったく実家暮らしでなければやっていけなかった。」芸人の傍ら一橋大学留学生に日本語学を教えているサンキュー氏。「教授としては留学生にはなめられないように」「芸人としてはいい加減に」をモットーらしく講演前半は辞書をめぐる話を芸人トークで笑わせ、後半は学者らしく講義する。

保守的オーソドックスで古文に強い『岩波国語辞典』。
「モトカレ」「パワハラ」など生きた言葉を入れることに積極的、時代を映す鏡であることを目指す『三省堂国語辞典』。
一言多いユニークな語釈の『新明解国語辞典
(例えば有名な項目 動物園:生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕えて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設)
留学生に勧めたい基本に忠実『基礎日本語辞典』。サンキュー氏は是非、目を通ておきたいのが辞書の『序文』と言う。
辞書の自己紹介ともいえる序文にこそ編者の目指す哲学が「編み」こまれているからだ。
「大学生に下請けさせ、パッチワークする芋辞書(広辞苑?)とは違い、ゼロから作り上げた辞書」と自負する『新明解』。本当にそんなことが書いてあるのだろうか。書店で『新明解』を確かめたい。

講演後半は国語辞書の歴史を紐解く。
近代国語辞典』は「いろは」から「あいうえお」順にしたのが画期的。福沢諭吉は下足番でも「いろは」なのに「あいうえお」順とはけしからんといい、出版祝賀会に来なかった。意外に料簡の狭い奴だと福沢諭吉大先生もサンキュー氏の手にかかると形無しだ。

サンキュー氏は基本語(日常生活でよく使う言葉)を見て、自分の感性に合うのを探すのが辞書選びのポイントだとアドバイスする。
漢字、ひらがな、カタカナと世界でも類を見ないビジュアル系言語である日本語。さあ、国語辞典を引こう!めくるめく世界が待っている!サンキュー氏は辞書引きの楽しさに誘う。

講演終了後、サンキュー氏の著書『学校では教えてくれない!国語辞典の遊び方』にサインしてもらった。先着30名様限りのファイルも見事ゲットした。
印税も入ることだし、学資ローンも払い終わるのももうすぐですね?サンキュー氏。それともネタかな(笑)。

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<台湾 宜蘭観光農園にて>

*サンキュータツオと『舟を編む』の三浦しをんとはたまたま早稲田の同期生だったということだ。
『生徒』と『学生』はどう違うか?
小学生は『生徒』。中学生と高校生は両方使うかな。大学生なら『学生』。
ところが主婦になりカルチャーセンターになると生徒さん。お年寄りになって公民館で教えてもらうのも生徒さん。と一見、同じような言葉でも用例を挙げて違いを見つけていくのが意味分析。私たちは直感で使い分けているが、例を探して帰納法的に二語、あるいは複数の言葉の差異を追求していくのが言語学者。言葉に敏感な人たちと言えば聞こえがいいが、ああ、「あ、この言葉の意味は?これはどうだろう」と話の途中でも一々立ち止まるしち面倒くさい人たちだ。
辞書とはそんな面倒くさい人たちの気の遠くなる作業で成り立っていることを書いた本が今、話題の『舟を編む』である。

面白かった。マニア本か職業本と思いきや読んだ後に胸が熱くなった。
言葉の大海原に溺れないようにするには船頭さんがいる。
辞書作りに携わる人たちはいわゆる船頭さんだ。
どの船に乗るか、どの船頭さんを選ぶかでどうやら見えてくる言葉の景色が違うようだ。
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<台北 国父記念館ライブラリーで勉強する人たち>

辞書の『編纂』、つまり辞書作りは『編む』動作。
『編む』は素敵な日本語ですね!
日本語は、恋するために生まれた言語である~小山薫堂f0234728_22135370.jpg


「いらっしゃいませ。このお店は今ではあまり使わなくなった日本語を売っている古言葉屋です。この一年、美しい言葉で着飾りませんか。あなたによく似合う、恋する日本語を見立てましょう」

閑静な住宅街にひっそり建つアンティークな洋館。
成人の日、
振り袖を着た女性(谷村美月)が
「恋スル日本語アリマス」の看板に誘われ扉を開ける。
奥には美しいマダム(余喜美子)。
棚から取り出したのは
「偶さか(たまさか)」:偶然・たまたま
「垂り雪(しずりゆき)」:屋根や枝から落ちる雪
「転た(うたた)」:ますます・非常に
「夕轟(ゆうとどろき)」:恋心のために夕暮れ方胸がさわぐこと。

セピア色の『恋する日本語』たちは
アコースティックな調べを伴い
詩や小説の中で鮮やかに蘇る。
NHKならではの趣向の番組だ。
ゲストの「女子力向上」のために、イマドキ言葉での解説つき。


短歌は現代語ばかりより古語を用いる方がずっと表現が豊かになるそうだ。
残念ながら私には短歌を詠む文才はないけど、眠っていた古語を取り出してみたくなった。

空が茜色に染まる黄昏は人が恋しくなる。
『夕轟』はいつか使いたい素敵なことのはです。