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某巨大コミュニティーサイトで知り合った彼女は、芸術にも文系にも強いリケジョ(理系女子)。
彼女がBlogを書いていると知り、早速訪問した。

いわゆる普通のBlogと全く違っていた。
身軽になるために『いかに捨てるか』を書き綴った、日々の実践記録だった。
モノだけではない。体重、趣味も、そして思い出の品さえも。
いさぎよく、思い切りよく。
文章まで余分なものをそぎ落としたものだった。

捨てるものがなくなった時、一体彼女に何が残るのかとても興味がある。
と同時に、モノが溢れかえった自分の生活と、贅肉のついた体が恥ずかしくなった。

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<ヨガするオブジェ>
今年は平城遷都1300年の年。奈良の都が賑わっているらしい。

私はここ数日でたまたま三人の友人から平城遷都祭で平城宮跡に行ってきた話を聞いた。
一人の友人は三回も行ってきたそうだ。リピーターもでるということはイベントとして成功だろう。

娘が奈良で学生生活を送っていた頃、私は何度か奈良に足を運んだ。
平城京跡は近鉄奈良線大和西大寺駅前に位置する。
娘がいた当時は朱雀門、資料館くらいしかないだだっ広い場所であったが、私のお気に入り奈良スポットの一つであった。
あたり一面草むらの中にまっすぐ伸びる道を歩いていると、不思議な感覚にとらわれた。
土の下から、いにしえ人の行き交う足音と衣擦れと話声がざわざわ聞こえる気がした。
平城京跡は想像力をかき立てる場所だった。

平城京跡の小高くなった丘に座った。するとどこからか風にのってフルートの調べが聞こえてきた。誰かがフルートを吹いている姿が遠くに見えた。
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<フジテレビ『鹿男あをによし』より>

遷都1300年祭も終わりに近づいている。
平城京跡が静けさを取り戻した頃に私は再び訪れてみたい。
その時もいにしえ人のおしゃべりが聞こえるだろうか。
2・26ではない、2・28
1949年2月28日、台湾全土を揺るがす抗争が起きた。
多くの犠牲者を出したこの事件を風化させないようにと建てられたのが2・28記念館だ。
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私が初めてそこを訪れたのは、数年前の夏のことだった。

2階建ての洋館の記念館には事件の資料や写真が所狭しと展示されていた。
残念なことにパネルには日本語の説明がなかったが、どこからか日本語が聞こえてきた。日本人グループに説明している年配の男性の日本語ボランティアさんだった。私は男性に近づいて「私たちにも説明お願いします」と頼んだ。
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かつては国連常任理事国でもあった台湾は今、国際社会から孤立している。そして台湾国内も揺れている。外省人(中国人)が支持する国民党が政権を握ったからだ。反発する本省人(台湾人)によるデモも起きている。

台湾の将来を憂うボランティアさんの愛国心が胸をうった。そして日本への感謝の言葉が有り難かった。台湾の人たちが親日的というのは、日本統治後の中国との比較が大きいのだと思う。

ボランティアさんとはそれ以降、たまに手紙のやりとりをしている。だがここ1年くらい返事がない。高齢な人なので心配で先日、思い切って電話した。
お元気な声で安心したが、記念館は改修中なのでボランティアはお休みしているという話だった。

なぜ改修中なのかその時、理由は聞かなかった。
が後になって国民党が展示物入れ替えを命じているための改修ということがわかった。しかし改修されればもはやそれは2・28記念館ではないのではないか、と私は危惧している。また真実を伝えようとしているボランティアさん達の胸中はいかばかりか想像に難くない。

民主主義とは体制を批判できる自由が保証されていることではないだろうか。
台湾は一体どこへ向かっていくのだろう?
現実とファンタジーの世界をさまよう父の所へ行くのは、正直言って心躍るものではない。
しかし長女である私は、母のように嘆いていてばかりはいられない。
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上の3個のバッグは友達からもらった韓国土産だ。
大きくてマチがあるので結構入る。
軽いし、ビニールコーティングしてあるので少々濡れても平気だ。
ファスナーつきなので中身が見えないというスグレモノである。
何より色鮮やかでPOPな柄がイイ!
日本でありそうでなかなかない。
POPな柄が、沈みがちになる気持ちを明るくさせてくれる。

最初にもらった右のバッグがかなりくたびれたので、再び韓国旅行する友達にリクエストした。
友達は二つも色違いでプレゼントしてくれた。


カラフルなバッグに洗濯物を入れて父の元へ通う日々。
こんなちょっとしたことも介護のミカタになる。
家庭deタイ料理はイマイチだった。
それで本場の味を求め、夫を誘い夜の飲み屋街に繰り出した。
店のあたりはつけてある。ところが途中で別のタイ料理店の看板を見つけてしまった。一皿どれもウン百円と書いてある。安さにつられてビルの細い階段を上った。店内をのぞくと畳の部屋に座卓テーブルが見える。テーブルの上にスーパーの袋が無造作に置いてあった。店の人に気づかれなかったのを幸いに引き返した。

目的の店はそこのすぐ近くだった。1Fはイタリアン、2Fは中国料理店が入っている。ここならそこそこだろうと思いエレベーターに乗った。扉が開くといきなり店内だった。入口で靴を脱ぐようになっている。想像していたイメージと違う。少しびびったが、せっかく来たのだからと思い直し中へ。
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天井にミラーボール。壁には国王夫妻の大きな写真。反対の壁には南国の花の造花。正面にはテレビがおかれプロ野球中継を映し出していた。カウンターには干支の置物とパソコン三台。靴を脱いだので裸足でソファいすに腰掛ける。ふと下を見ると・・・・コンバット!ゴキブリ退治のコンバット!005.gif
水も出されたので今更、帰れない。
三品くらい注文する。トムヤンクンが万古焼きの土鍋にはいって出てきた。取り分け器はラーメン小鉢だ。タイライスは桜柄の丼鉢に。焼きそばは青いバラの柄のお皿に盛られていた。割り箸も添えてある。
タイ人家族で経営しているらしくお父さんが厨房、お母さんが給仕。髪を後ろで一つにゆった息子がかいがいしく母親を手伝っていた。息子は、後から入ってきた日本人の男性客と他愛のない話をしていた。適当にほってくれるので居心地は決して悪くはなかった。
味は本場っぽいようだ。

しかし元スナックらしい換気の悪い店内。インテリア、食器、どれもごった煮風味。そして足元のコンバット。ボリュームありすぎのメニューで胸焼けしてしまった。ディープすぎるレストランに、「本場を食べるぞ」という最初の意気込みやどこへやら腰砕けたヘタレな自分だった。007.gif
チーズケーキモンブラン。これが我が愛するケーキ、TOP2だ。

好きなものに対してストライクゾーンが広くなるのか、狭くなるのか、どちらだろうか。
私の場合は断然、後者である。

喫茶店でいろいろ迷ったあげく結局、チーズケーキを注文する。出てきたケーキがレモンエッセンスが強かったり、甘すぎたり反対に酸味が強すぎるとガッカリだ。私はチーズケーキにとても採点が厳しい。そして決まって「ああ、やっぱりまるたやのチーズケーキには敵わない」と思うのだ。そのくせ、もしかしてと甘い期待をもって、懲りずにまた注文してしまうから始末に負えない。
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まるたやは以前、住んでいた浜松の洋菓子店である。
チーズケーキはまるたや一番人気スウィーツだ。
二層になったサワークリームとクリームチーズが、特製クッキーから作った生地とよく合い、他には真似ができない美味しさを生みだしている。まろやかで濃厚な味が癖になる。
たまに浜松に行くと、二、三切れ家族にお土産に買う。
骨折して三ヶ月近く松葉杖生活を余儀なくさせられた時は、自分への励ましの意味で”お取り寄せ”もした。

今年の誕生日、友達が思いがけなく、まるたやのチーズケーキを送ってくれた。
ありがとね。とっても美味しかったよ。f0234728_19187.gif
世は日本語ブームだ。
もう放送終了したが『みんなで日本GO!』のような視聴者参加番組や、日本語教師の奮闘のドラマがあった。
そんななか、私には最近気になっている言葉がある。

大学生の女子と話していた時だ。
話の途中に何度も「確かに」「確かに」と出てくる。あまりに頻繁に登場するので次第に気になってきた。
そういえば、我が娘も娘の友達も使っている。
タレントのDIGOの影響だろうか。でもイントネーションが違う。
「確かに」は本来は「あなたの言うことは至極もっともだ」と強く同意している言葉だと思う。

自分の考えを支持してくれていると思うと悪い気はしないから、無意識に話し手を喜ばせようと若い人は使うのか。
しかし何だ、この違和感は?
そんなに軽く頻繁に人の話に同意していいのだろうか。それとも「確かに」は「聞いてるよ」のような単なる相づち語になったのか?

確かに気になる「確かに」である。
映画の日、友達の誘いでジュリア・ロバーツ主演の『食べて、祈って、恋をして』を見に行った。
いわゆるデートムービーというのだろうか、離婚したヒロインがイタリア、インド、バリ島へと自分探しの旅にでかけ新たな恋を見つける。
美しい風景。エスニックな音楽とファッション。空腹時に見ると危険な(笑)美食三昧シーン。スピリチュアル体験。そして・・・恋。

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ジュリアロバーツがいくら美しくても、デートでこの映画を選んだ女性は安心していい。ヒロインの言動が意味不明。恋の終止符も一方的。いきなり別れを切り出すわ、反論されると切れるわ。
隣に座る彼女がこんなプッツン(もう死語ですね)女性でなくてよかったと男性はきっと胸をなでおろすだろう。
私には男を振り回す悪女にしか思えなかった。

見終わった後「インドやバリで修行してたけれど絶対、彼女は変わっていないよね!」
アラサーは騙されても、私たちオバチャン三人組には通用しない。
リアリティーのなさすぎるヒロインのせいで、上映時間140分が3時間くらいに思えた。

この映画を気に入っている人、辛口でごめんなさい。
世界的ベストセラーになった原作から、きっと何かが抜け落ちていると思った。
中南米音楽を語るには、1950年代から台頭したヌエバカンシオン(新しい歌運動)を外せない。
ヌエバカンシオンとは、メッセージ色の強い歌で社会を変えようとする動きとその歌を言う。
ラテンらしくノリがよいメロディーなのに、歌詞はびっくりするほどシリアスだ。

『三兄弟の物語』は、キューバのヌエバカンシオンの旗手であるシルビア・ロドリゲスの代表曲の一つである。



この歌には「これを聞いて君ならどう考えるだろう」という歌詞が、繰り返し出てくる。
足元ばかり見てはだめ、遠くばかり見てはだめ、足元と遠くと両方見てもだめ、じゃあ、どうしたらいいのさ・・・と私は呟く。
私も尋ねたい。
「これを聞いて君ならどう考えるだろう」
f0234728_23561866.jpgずっ~と心にひっかかっている歌がある。
『三兄弟の物語』というキューバの歌だ。


三兄弟の物語』  シルビオ・ロドリゲス

三兄弟の年上の兄は去っていった
何かを発見し、創造する道の途中で
過ちを犯さないために
歩み始めには用心深く注意した

もうこの姿勢でどれほど歩いたことだろう
足元に向いた首はもう元には戻らない
用心することに束縛されながら
年をとり、遠くに行きたいと切望しながら
その遠くにはたどりつけなかった

はるかかなたを見ない瞳は足には役立たない
これを聞いて、君はどう考えるだろう

三兄弟のうち、真ん中の弟は去って行った 
何かを発見し、創造する道の途中で
過ちを犯さないために
歩み始めには用心深く注意していた

この賢い子は足元の石を見ることをしなかった
足をひっかける小さな穴ぼこも
通りかかるといつも転んだ
年をとり、遠くに行きたいと切望しながら
その遠くにはたどりつけなかった

すぐ目の前すら見ることができなかった瞳
これを聞いて、君はどう考えるだろう

三兄弟の一番下は去って行った
何かを発見し、創造する道の途中で
過ちを犯さないために
片方の目は上を、もう片方は足元を見ていた

彼は最も先まで道を進んだ
足元とはるかかなたの両方を見ていたから
しかし両目の視界をまとめようとした時
すでに彼の視線は焦点を失っていた
そこにいることと先へ進むことの間で
全てを見ようとすれば
何を見ているかすらわからなくなる
これを聞いて、君はどう考えるだろう