<   2011年 05月 ( 7 )   > この月の画像一覧

不思議な映画だと聞いてはいた。
タイ映画らしかった。「タイ研究家」(笑)としては是非とも見なくてはと思った。

映画が始まってものの5分もしないうちに(まずったかも)と思った。延々と森のシーン。音楽もない。暗闇には動物が潜む。眼が赤く光っている。
・・・・うわぁあ、苦手かも。退屈な映画な予感。

そう思ったのは私だけでなかったようだった。早々と退席した観客もいたからだ。
f0234728_2251416.jpg

ブンミおじさんは腎臓を患い死期が近い。
妻の妹や甥がやってくる。みんなで食卓を囲む。
そこへ死んだ妻が現れる。妹は「幽霊のくせに・・」。姉妹の会話は自然だ。と、どこからか声がする。数年前、行方不明になった息子の声だ。しかし登場したのは毛むじゃらの「猿の惑星」。聞けば息子は「森の精」となったいう。

ここで私はお手上げだ。
置いてきぼりになる→眠くなる→ますます話がつながらないの<恐怖の三段活用>。
(後から、一緒に行った友達に抜け落ちてたストリーをつなげてもらった。)

死が迫っているブンミおじさんの意識は現実とファンタジーをいったりきたりする。意識は未来にも飛ぶ。未来の世界は現在とほとんど同じように見える。未来人は迷彩柄のTシャツとパンツをはいた若者たち。演じるのはエキストラで集めたような素人のような俳優。
大学生の映画研究会でももう少しマシなシーンをとるだろう。ファンタジー画面がチープすぎる。

ブンミおじさんは亡くなり、お葬式が行われる。
イルミネーションが輝く派手な祭壇だ。お経を読むのは修行中の甥だ。
葬儀が終わり、ホテルの一室でお香典を数えるブンミおじさんの義妹と姪。封筒からお金を出し「これ無記名ね」「あ、名前があった」「○○バーツ」読み上げる義妹に金額と名前を書き留める姪。日本と何ら変わらない風景が繰り広げられる。
そこに袈裟を着た甥が「冷房が効きすぎて寒い。熱いシャワーを浴びさせてくれ」と入ってくる。
バスルーム。
袈裟を脱ぎ、無意味なシャワーシーン。
シャワーを浴びた甥はGパンとTシャツに着替えて、ベッドに座り二人と一緒にテレビを見る。
甥は「おなかが空いた、セブン-イレブンに行こう」と二人を誘う。姪は残るが甥とブンミおじさんの義妹はでかけることにする。
部屋を出る二人。部屋の扉を開ける甥はベッドを見て「あ!」という顔をする。彼の視線の先は・・・テレビを見ている自分達。そう、タッチのように幽体離脱!

幽体離脱(?)した二人がいった先はカラオケスナック。派手な店内。そこでもテレビを見る二人。タイポップスが流れる。エンドロール。

後からこの映画は昨年度、カンヌ映画祭で輝けるパルムドール賞を受賞していたことを知った。史上初のタイ映画受賞で話題になったらしい。
どこをどう見たらこの映画にそれほどのゲージュツ性があるのか。私にはレディースデーの1,000円でも高い気がした。

カンヌ映画祭の審査委員長はティム・バートンだった。テリー・ギリアム監督と並ぶファンタジー映画の巨匠。『シザーズ・ハンズ』は好きだったが『ビッグ・フィッシュ』は私の好きなファンタジーとちょっと違うなと思った。ティム・バートンが賛否両論あったこの映画を「東洋のファンタジー」と絶賛し、強く推したらしい。『ブンミおじさん』は『ビッグ・フィッシュ』にどこか似ていた。

この映画から私が学んだことは
・タイの南部(北部?)はお葬式が派手。
・タイにもお香典を送る風習があること
・タイにもセブン-イレブンがあること
・自然は映像より生で見た方がいい
だった。こんな俗っぽい私にはゲージュツは難しい。
シーズン9と違う点は挑戦者にユニバーサルレコードの大物プロデューサー、ジミーがつき選曲からアレンジ、歌い方までみっちり指導する点だ。
f0234728_22591213.jpg
ジェイコブは歌いたい曲があったのに「古い曲だ」と斬りすてられた。かわいそうに彼は「選曲が悪い」「感情移入しすぎな歌い方が悪い」「視聴者に向かってあの言い方が不遜だ」とさんざんな言われようだった。そのため萎縮したのか次第に予選の時の輝きは薄れてしまった。
f0234728_2323579.jpgケイシーはコンテスト向きの曲ではないと言われても頑として譲らなかった。とうとうジミーの方が「ケイシーは息子に似ている。言うことを聞かないからしたいようにさせるさ」と折れてしまった。

f0234728_2342127.jpg審査員の意見は時として矛盾している。
「自分の方向性を絞れ」「いろいろなジャンルに挑戦せよ」。一体どっちよと思う。
バラードが得意なピアに向かって「あなたがバラードがうまいのはみんなわかっている。違うあなたを見たい」。次の週、アップテンポな曲をもってきてピアは散った。

f0234728_2352645.jpgスコッティはグループ審査のとき、泣きべそかいていた。あの時の彼はどこへやら、今は妙に自信たっぷりだ。どや顔(笑)で歌う。あまりにカントリーにどんぴしゃだからか、審査員は彼にいろいろ挑戦せよとは言わない。「全女性を魅了する音」と絶賛の嵐だ。全女性は言い過ぎだろうと私はテレビの前で突っ込む。

f0234728_2363068.jpgジミーと審査員の意見の食い違いもしばしば起きる。
ジミーはヘイリーにレディーガガのCD未収録曲を勧めた。審査員はここまできたらもっと大衆に知られている曲を選曲すべきだったと批判した。

自分の主張、プロデューサーの意向、審査員の意見、どこに重きをおくか、どこまで従うか。自分の気持ちに正直にいたい、でも上に勝ち進むには折れるしかないのか挑戦者は苦しむ。

前回、ヘイリーは神懸かりのパフォーマンスをした。
ボトム3の常連だったヘイリーが予想に反してしぶとく残っている。優勝争いはますます混沌としてきた。

シーズン10を制するのは一体誰だろうか。答えは・・・もうすぐ出る!
「芸術」とはなんと便利な言葉だろう。理解不能でも「芸術」とくくれば、全てがかたがつくように思う。f0234728_21182642.jpg

モダンアートも然り。大概はわけがわからない。『風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから』展にもそういう作品があった。スタンド式洋服ハンガーに生活雑貨が無造作に(見える)ぶら下げてあった。私にも作れそうな作品に思えた。解説を読んで初めて何が言いたいのかわかった。

しかし、理解できなくても何かが伝わる時がある。
ふた部屋続きで表彰状が上から下までぎっしりと貼られているのを見た瞬間、私は思わず息を飲んだ。人より優れた何かをして、ありがたく受け取る表彰状。それなのに隙間なく貼ってあるとなぜ違和感を感じるのだろう。

全ての表彰状には橋の絵が描かれていた。中国が諸外国の援助なしで完成した橋、南京長江大橋は中国の誇りの象徴だ。だが一方、自殺の名所にもなっている。中国の表と裏を如実に表す橋だ。

表彰状からは個が見えてこなかった。
一枚、一枚が何の表彰状なのか知りたかったが、中国語が理解の妨げになっていた。

チウ・ジージェは南京長江大橋に関する作品制作をテーマの一つにしている作家。
f0234728_19433641.jpg

「日本一、いや世界一、野外ステージが似合わないアーティストです」
鈴木雅之が登場した途端、どっとおきる歓声。
さすが日本RB界の重鎮です。つかみは完璧。
「デビューして30年。瀬川瑛子風に言えばスワンジュウネン、はぁい、みんな、言ってみましょう」。観客はいつの間にかマーチンさんのペースに乗せられている。声を合わせて「スワンジュウネン」。

今年で5回目になった栄ミナミ音楽祭。こちら、ナディアパーク隣の矢場町公園。階段に座ったので、ステージがよく見渡せる。先ほどまで出演していたSkoopの時と空気がまるで違う。「祈り」であんなに会場を魅了していたのに。タケが歌い終わったとき、会場には(ほぉ~)とため息。隣に座ったスクープ友達と顔を見合わせて「やったね!」と言ったのに。

5月の空はどこまでも青く、頬をなぜる風は爽やかだ。
飛行船も浮いている。

Skoopのステージが終わる頃、鈴木雅之目当てに人が続々やって来た。男の人も目立つ。公園は人でふくれあがってきた。野外ライブは、限られたファン相手に閉ざされた空間でないのがよい。フリーなら尚更よい。お天気ならもう完璧だ。

結局、Skoopは鈴木雅之においしいところを全部もっていかれたようだった。いつもそうだ。大黒摩季に、ゴスペラーズに・・でも、仕方ない。マーチンさんはとにかくMCが上手い。曲は私でさえもほとんどが知っている。ステージ前に陣取っていたファンはノリノリで踊り始めている。

ラストはSkoopを呼んで『夢で逢えたら』だった。ミュージックフェアで鈴木雅之、ゴスペラーズ、Skoopがコラボしたあの曲。生で聞けるなんて夢みたいだ。来たかいがあったというもの。し・あ・わ・せ。
アンコールは鈴木雅之とSkoopによる『上を向いて歩こう』。「頑張れニッポン」のテーマのようなものだ。実力派二人のハーモニーはさすがに聞かせる。

フリーライブが終わった。東北の物産品が売られているテントに人だかりができていた。募金箱も設置されている。興奮もさめやらないのだが、家路を急ぐ。
時間は6時をとっくにまわっている。風が少し冷たくなっていた。
友達に劇を誘われた。
懸賞でチケットが当たったと言う。
『欲望と言う名の電車』は昔に見たことがあるが、暗い話だったことだけしか覚えていなかった。

「ネットで配役を見て」と友達がいうので調べてみた。
池内博之、鈴木砂羽、猫背椿は知っていた。
松尾スズキ演出が面白そうだ。「行きたい」とOKした。
f0234728_12374331.jpg

名古屋公演は一日だけだ。演劇鑑賞なんて何年振りだろう。ドキドキしながら席に着く。
正味3時間の公演時間が5時間くらいに感じた。つまらなかったのではない。あまりに濃い内容だったからだ。観客は咳ひとつしない。皆、息を詰めて舞台を見つめている。ホールの空気はピンと張りつめていた。見終わった後、グッタリ疲れた。

映像と音楽を用いる演出が斬新だった。
所々に挿入された笑いを誘う台詞と珍妙な動作が、重苦しい話を少し軽くさせていた。
R15の生々しい台詞と演技。はて、こんなのあったっけ?と思ったが、これが松尾スズキ流なのだろうか。

自分を飾る嘘でギリギリ精神のバランスを保つ姉。
姉と夫への挾間で苦しむ妹。
DVと優しさを繰り返す夫。

心の奥底をのぞいてみれば『欲望という名の電車』の描く世界は無縁ではない。だからこそ世界中で上演される、演劇の金字塔なのだろう。彼らの台詞にうなずく私は、10数年前に見た時の自分ではなかった。

幸か不幸か、ヒロインが危ういバランスの崩れた後のストリーは全く覚えていなかった。
どう決着をつけるのか固唾をのんで見守った。
衝撃の最後にロックが流れた。ロックな『欲望という名の電車』だった。
これをアメリカに逆輸出したらアメリカ人はどう見るだろうか。感想を聞いてみたい。

そういえば『ガラスの動物園』もテネシーウィリアムズ作だ。数年前、南果歩、村田雄浩、香川照之の配役で劇を見た後、不消化な思いで頭を抱えたことをずるずると思い出した。
二つの作品にドグロのように渦巻く負のエネルギーはどこからくるのか。
作家の壮絶な人生の投影だろうか。

ブランチ役の秋山奈津子は他を圧倒する存在感を放っていた。遠目から見る彼女は美しく、脆くエキセントリックな激情の人ブランチそのものだった。
YouTubeのインタビューで見た素顔とは全く別人だ。よく通る声にひきこまれる演技。
彼女は舞台女優の中の舞台女優だった。
<ファン・ゴッホの『昼寝』>
「干し草の山かと思ったけれど米ね。米、間違いない」
ゴッホの「昼寝」の絵を見るタイチェンマイの村人たちの会話。

風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム』(大阪国立国際美術館)はアジアで活躍するモダンアートの作家たちの作品展だ。
アラヤー・ラートチャムルーンスックはタイ、チェンマイの戸外に19世紀フランス名画複製を置き、村人に自由に会話させる様子を記録した。上の会話はその一部だ。
f0234728_8251221.jpg

映像をフロアクッションに座って足を投げ出して見る。するとスクリーンの中の村人と同じ姿勢になった。

10人くらいの村人の会話は縦横無尽に広がる。一枚の絵でよくもそこまで話が続くことに驚いてしまう。私は一枚の絵を10分も眺めていたことはない。
又、絵について友と時間を忘れてああでもない、こうでもないと語ったこともない。
絵の鑑賞番組なら見たことはある。日曜○○とかの類だ。
「この時代は・・・」とか「この影の描き方は・・・」など多くは作家のエピソード、時代背景や絵の技術についての説明だ。

考えれば「○○展」タイトル自体が先入観のスタートだ。
チェンマイの村人は、白紙の状態で絵を眺めている。
彼らの会話が実におかしい。おかしさの中に文化の違いが浮き彫りになり、生活が透ける。
ゴッホの<昼寝>の絵に戻る。
f0234728_832151.jpg

畑の中で昼寝する人物が靴を履いているのを見て
「この男の足は臭い、だから靴が脱げない。」
「サム(村人の名)並に臭い」「だったら本当に臭いね」
昼寝も彼らにかかれば
「食事を終えたら疲れが出て寝ちゃったのね」
「年寄りだから疲れているのよ」
「いや何もしていない怠け者だね」
どうしてこう想像力が豊かなのだろう。

そして村人はいつの間にか絵の人物と自分たちを重ね合わせる。
「仕事は本当にキツイ。疲れたよ」
「お腹が空いたら食べる。そして休む。それが生活」
「疲れたら休んで寝る」
「翌朝、筋肉痛だろうがまた働く」

ゴッホの絵の枯れ草は「米」を刈った後の藁と勝手に解釈される。
「たくさんのお米の山は幸せだ」
「彼らも幸せだから寝ている」
チェンマイの村人は哲学を学ばなくても、生きるとは何かを知っている。

<マネの『草上の昼食』>
こちらは更におかしくかつ新鮮だ。
絵の男性をどこまで本気なのか「オサマビンラディンだ」「サダムフセインだ」と言う。裸の女性と不意に出会ったらどうするか、あたりからちょっと際どい話となる。裸の女性は「売春婦」「金持ち」と意見は分かれる。裸の女性を「疲れるから交代させなくっちゃ。」「いつも同じ人じゃ飽きる」。何が??誰が?頭の中が?になる。
そしてついに出た!基本的な質問。「彼女はどうして裸なの?」この絵を何度も見ているのにそんな疑問持ったこともなかった。草の上で男性はきちんとした服を着ているのに女性は裸なんて考えれば変なのに。
「西洋人だから恥ずかしくない」の結論に達する。そして最近、村で起きた露出狂女性の事件が話題に上り、なぜかまた「オサマビンラディンはどこへ行った」に戻る。
「地下にもぐったかもね」と誰かが答える。
偶然だがタイムリーな会話だった。

先入観や知識は絵を楽しむのに邪魔だと思った、実に強烈な映像作品体験だった。
f0234728_21564253.jpg
ステファノは数年前、交通事故に会い九死に一生を得た。救急車に運ばれ気づいたら病院だった。生きているのも不思議なくらい大事故だった。今も痛ましい傷跡が腕に鋭く残る。

大好きな音楽もできなかった日々。しかしいつか自分の夢をかなえる。そう、アメリカンアイドルに出てスターになる!そのためリハビリに励んだ。

ステファノの声はのびやかでまっすぐだ。
しかしつい独りよがりの熱唱をしてしまう。
ジェニファーは彼にアドバイスをする
「観客と一体にならなくては。目をつぶって歌ってはダメ」
プロデューサーのジミーは言う。
「イケメンなんだから、自分に自信を持ってもっと堂々とせよ。観客にこびるな」。
二人のアドバイスは抽象的で難しい。

個性派そろいのシーズン10挑戦者たちの中でステファノの陰は薄い。ボトム3に何度も入った。

ステファノはもう達観しているようだ。
何度も脱落の憂き目にあった。ここまできたら上出来だと思っていたのか。審査の結果を待つ彼の目にはもはやオドオドしたおびえはなかった。

ステファノは落ちた。しかし彼の笑顔はひきつっていない。重圧から解放された喜びの方が大きいのか。司会者に今の気持ちを聞かれると「歌いたくてうずうずしているんだ。早く歌わせてくれ」。
私はもう一度『If You Don't Know Me By Now』を聞きたかった。
ステファノは歌唱力はあるのだが、心に響くときとそうでない時がある。
しかしこれは文句なしにステファノのNo1だった。私にはオリジナルよりはるかにいいように思えた。TOP12放送後、何度リピートして聞いたことだろう。「今日、最高のパフォーマンスだ!」と、まだ他のコンテスタントが歌い終わらないうちに審査員が叫んだ。
http://www.youtube.com/watch?v=4t4BJmp1CKw

しかし彼が歌いだしたのは違う歌だった。
ステファノが歌い終わらないうちにジェイムズが飛び出した。小柄な彼を後ろから抱き上げた彼はずっと泣いていた。同じ挑戦者であった二人に友情を越えた絆があったのだろう。

こうしてまた一人、ステージから去っていった。