映画『舟を編むの公開に合わせたとしか思えないタイムリーな放送(NHKBSプレミアム)だった。
辞書芸人、サンキュータツオが講演で、三省堂から二冊の小型国語辞書が出ている、なぜか、同級生で友人だった二人が喧嘩別れをしたからだと言っていたが、その経緯が再現ドラマでよくわかった。

東大でそれぞれ国語学、言語学を学んだ見坊豪紀と山田忠雄は友人だった。
三省堂の面接試験で二時間、辞書作りの信念をアピールした見坊は見事、入社。辞書編纂を任せられ、友人、山田に用例の校正を頼む。こうして世に出た辞書は『明解国語辞典』(略して明国)。
見坊が生涯、採集した用例は実に145万。これは寝食以外の時間を全て費やさないと到達できない数だった。見坊は用例採集に没頭するあまり、語釈に手をつけられず15年にわたって第三改訂版を出すことができない。業を煮やした三省堂の依頼で山田忠雄が主管となる。長年、見坊の助手に甘んじていた山田は、独自の語釈で『新明解国語辞典』を発行。その序文の『見坊に事故有り・・・(辞書を刊行することになった)』の記述を目にして怒り心頭の見坊。
実は『事故』には「都合が悪いこと」の意味があった。見坊が編み出した辞書の『事故』にはその語釈はなかった・・・。見坊はその後、『三省堂国語辞典』(略して三国)に専念。語の解釈の誤解がきっかけで二人は袂を分かち、二度と会うことがなかった。

語釈、用例を通して、二番手に甘んじた山田は積年の恨みを果たす。
上:形の上では共著になっているが(新明解)
実に:助手の職にあること実に17年
不遇:実力は十分にあるのに世間では認められないこと
ふつふつ:・・・欲望・意志・感情などが発酵に発酵を重ね、爆発寸前に至ることを表す

しかし時を経て二人の感情に変化が訪れる
ば:山田と言えばこのごろ会わないな(三省堂国語)
畏友:尊敬している友人
実に:この良友を失うには自分にとって大なる不幸・・・~夏目漱石(新明解)

ことばの魔力に魅せられ、ことばで傷ついた二人だが、心の奥底ではお互いを求め、畏友だと認め合う。だが、もはや紙に書かれたことばでしか対話できない。言葉を生業としているのに学者とはなんと厄介なイキモノなのだろうか。
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<観覧車~刈谷ハイウェイオアシス>
語釈:遊園地にある、子供から大人のための大型遊具。ゴンドラに乗り込み、閉じ込められた空間の中で眺めを楽しみ、空中を一回転して元の場所に戻る。夜の眺めは殊に幻想的。
用例:夜行観覧車
どんなによくできた映画でも映像になると原作とは多少となりイメージが違うものだ。
ところが『舟を編む』、最初はミスキャストではないかと思った馬絞(マジメ)役の松田龍平が全く違和感がない。運動とは無縁の、筋肉のなさそうなヒョロヒョロした体つき、前かがみに歩く猫背の後ろ姿、クタクタの背広、ダサい眼鏡。自信なげな声の出し方。松田はイケメンオーラを消し去り、さすが役者としか言いようがない。
チャライ西岡ときたらオダギリジョーと途中まで気づかなった。
辞書作りに生涯をささげた学者肌の松本は加藤剛しか演じられないだろう。
それほどほとんどどの役も原作のイメージを壊していなかった(ただヒロインだけはちょっと惜しいのだが)。
所々、挿入される海のシーン、押し寄せる波の音は映像ならではの表現が加わった。カットしている原作部分も勿論あるのだが、多くを語り過ぎない台詞や描写がいい。それでいて随所に細やかに丁寧さが感じられる。派手なハリウッド映画とは一味違う邦画を見直す。

それにしても辞書作りとは・・・こんな地味なテーマがよく映画になったと感心する。
この本を映画化にしようとした製作者に全く敬服するしかない。

人付き合いが苦手、気持ちを言葉にするのが苦手な世間では「オタク」と言われる馬絞はKY人間。
だけど思い込んだら一途。好きなことは寝食忘れて没頭する集中力。人も驚く知識の量。
馬絞のような人はあなたの周りにいないだろうか。
世の中の科学技術の発達はそういう人たちに支えられている。
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馬絞の、松本の、西岡の妻も「舟」を編む。
紙を作る人、用例チェックする大学生。宣伝する人・・
辞書作りにかかわった多くの人たちの熱い想いによって舟は編まれて私たちの手に届く。
言葉の大海に溺れないように、心を表す言葉を見つける羅針盤となるために・・・。
「皆さん、『舟を編む』の映画を見ましたか?
現実は文系男子にはヒロインいない、友達いない、ただ本が増えていく・・なんですけど(笑)ね。」
壇上に国語辞書をズラ~ッと並べて話すその人はサンキュータツオ。
2012年、本屋大賞を受賞した『舟を読む』関連で最近、マスコミでよく見聞きする辞書マニアの芸人だ。
「映画の中でなるべく新しい言葉を入れようとする松本教授がでてくるが、ははぁ、これは私立大学系~三省堂系とピンときた。199●年の話なのに教授の書斎に2004年出版の辞書があった」と辞書マニアならではの細かいエピソードで聴衆を笑わす。

ところで私は今、国語辞書を三冊持っている。『学研現代国語辞典』『小学館国語辞典(子供向き)』と『語感の辞典(岩波書店)中村明』だ。
前の二冊は必要に迫られて買ったものだが『語感の辞典』は朝日新聞に紹介されていて買い求めた。
辞書は客観的に書かれたものと思っていたが、『語感の辞典』は全く異なる。
何時しか:「いつの間にか」の意で、主に文章中に用いられる古風で思い入れたっぷりな表現。

どうです?この主観たっぷりな解釈(笑)。こんな辞典は他にあるまい。

サンキュータツオは早稲田大学で中村明の門下生だった。
「早稲田大学院卒業まで14年かかった。学資借金が500万!まったく実家暮らしでなければやっていけなかった。」芸人の傍ら一橋大学留学生に日本語学を教えているサンキュー氏。「教授としては留学生にはなめられないように」「芸人としてはいい加減に」をモットーらしく講演前半は辞書をめぐる話を芸人トークで笑わせ、後半は学者らしく講義する。

保守的オーソドックスで古文に強い『岩波国語辞典』。
「モトカレ」「パワハラ」など生きた言葉を入れることに積極的、時代を映す鏡であることを目指す『三省堂国語辞典』。
一言多いユニークな語釈の『新明解国語辞典
(例えば有名な項目 動物園:生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕えて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設)
留学生に勧めたい基本に忠実『基礎日本語辞典』。サンキュー氏は是非、目を通ておきたいのが辞書の『序文』と言う。
辞書の自己紹介ともいえる序文にこそ編者の目指す哲学が「編み」こまれているからだ。
「大学生に下請けさせ、パッチワークする芋辞書(広辞苑?)とは違い、ゼロから作り上げた辞書」と自負する『新明解』。本当にそんなことが書いてあるのだろうか。書店で『新明解』を確かめたい。

講演後半は国語辞書の歴史を紐解く。
近代国語辞典』は「いろは」から「あいうえお」順にしたのが画期的。福沢諭吉は下足番でも「いろは」なのに「あいうえお」順とはけしからんといい、出版祝賀会に来なかった。意外に料簡の狭い奴だと福沢諭吉大先生もサンキュー氏の手にかかると形無しだ。

サンキュー氏は基本語(日常生活でよく使う言葉)を見て、自分の感性に合うのを探すのが辞書選びのポイントだとアドバイスする。
漢字、ひらがな、カタカナと世界でも類を見ないビジュアル系言語である日本語。さあ、国語辞典を引こう!めくるめく世界が待っている!サンキュー氏は辞書引きの楽しさに誘う。

講演終了後、サンキュー氏の著書『学校では教えてくれない!国語辞典の遊び方』にサインしてもらった。先着30名様限りのファイルも見事ゲットした。
印税も入ることだし、学資ローンも払い終わるのももうすぐですね?サンキュー氏。それともネタかな(笑)。

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<台湾 宜蘭観光農園にて>

*サンキュータツオと『舟を編む』の三浦しをんとはたまたま早稲田の同期生だったということだ。
このところX-Factorばかり書いていて他に考えることはないのかと言われそうだが、実はX-Factorは試験勉強のストレスからの逃避でもあった。

何十年かぶりに机にかじりついた勉強はさび付いた頭にはなかなか厳しいものだった。それに、わずか三、四ヶ月の付け刃の勉強なんて結果は待たずともわかるようなもの。
だが収穫が全然なかったわけではない。

一つは知識とは何かと考えたことだ。
知識は点ではない。点だけでは単なる物知りにすぎない。点と点はつながって線となり、線は重なって面となる。面は他の面とどこかでつながり固まりとなる。固まりは動きながらまた新たな面をくっつけていく。
線からできた面を、固まりを、その動きを、わかりやすい言葉で人に説明できてこそ初めて知識といえよう。

私は点学習で終わっていた。単語カードで必死に暗記しようとした点は、頭の中で飛び交っていて面はおろか線にさえなかなかなろうとしてくれなかった。

もう一つは国語力の重要性に気づいたことだ。
ある程度の年齢でゼロから始める外国語学習と違って、国語の力は生まれたときからの積み重ね。貯えてある言葉から瞬時に選んで使う。知らない言葉に出会ったら脳をフル活動して推測する。
言葉のセンスも国語力だ。考える力も国語力。言葉を組み立てて理解していく。社会も理科も数学でさえ国語力が基礎となる。

読書は国語力を培うのに最善の方法だ。Blogでたくさん本を紹介している人を見るとえらいなぁといつも感心してしまう。あまり本を読まない自分が時々、薄っぺらな人間に思えてしまう。国語力は一朝一夕にはつかない。読書量の差は大きい!
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(地中海村のライブラリー入口)

小さい子供をもったお母さんに私は声を大にして言いたい。
英語を習わす前に、本を読んであげなさい。本を読ませなさいと。
日本語以上に外国語で表現することは無理なのだから・・・・
「死んで金を残す者は下だ、仕事を残す者は中だ。人を残す者は上だ」
後藤新平が脳溢血で倒れた日に言い残した言葉だ。
後藤は医者から衛生局長、台湾総督民政長官、満鉄総裁、東京市長、通信大臣、内務大臣、外務大臣を務めた。ボースカウトの創始者でもあり、日本放送の父でもある。
ならなかったのは総理大臣だけと言われた男。
あまりに時代を先ゆく構想の大きさに大風呂敷と揶揄された男。

「会議に出ている以上は下手でもいいから自分の考えを喋れ。黙っているだけの奴は会議に出るな」
彼の言葉は気概にあふれている。
彼の都市計画は先見性に満ちている。
彼の外交姿勢、政治論理、行政改革は今なお通ず。

初の衆議院議員立候補を要請する者に、後藤が返した言葉が
「東京には内容のない政治家が増え、地方の選挙区に居候するものがいる。政党の手先になって身を誤るな」

日清戦争帰還兵の検疫に対して行政手腕発揮し、台湾総督民政長官へ。
施政演説をあえて行わず不言実行。
生物学原則』(無理に変更すれば反発を招く。状況に応じた施政が必要)に則った麻薬駆逐方法は大胆かつ現実的だった。阿片を禁止せず許可制にし、高く課税して徐々に減らす。
大幅な人員削減と組織の簡素化で経済改革をする。徹底した調査によるインフラ建設進め、『台湾近代化の父』と呼ばれている。
1906年、満鉄初代総裁。
「午後3時の人はほしくない。午前8時の人がほしい」と若手起用。
『生物学原則』の則ってインフラ整備、衛生施設拡大。
満州での利益を独占せずアメリカと新たな路線をさぐり反日勢力を弱めようとする。
後藤の外交センスには舌を巻く。
1920年、東京市長就任。震災後の大規模な都市復興計画(幹線道路の整備・公園・区画整理)は世界最大規模。今日の東京の骨格を作る。
1923年、内務大臣としてロシアとの関係修復しようとして日中露の関係の強調を説く。

大胆で先見の明がある、常人ならぬ彼のDNAは孫の社会人学者の鶴見和子、哲学者の鶴見祐輔に脈々と受け継がれている。

NHKの大河ドラマも、手垢にまみれた(歴女の皆さま、ごめんなさい。)戦国時代ばかりでなくて近代史を扱えばいいと思う。後藤新平を主人公にすればきっと『坂の上の雲』のようなスケールの大きいドラマになると思う。
近代史には、膠着した現代にはなかなか生まれない逸材がまだまだ眠っている。
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尚、私、本日をもって後藤新平ファンクラブ入会です。会員は一人(笑)。
ファンクラブ会則:
その1 後藤新平の精神理解に努めること。
その2 いつの日か岩手にある『後藤新平記念館』に行くこと

*有識者(?)に疑問をぶつけた。
後藤新平を研究している人は多い。しかし近代史を大河ドラマで扱うとなると、侵略や植民地政策を描かざるを得ない。「あえて火中の栗を拾う」ことはしないのではという説明だった。
近代史をタブーにせず、どんどんドイツのようにオープンに描いたらいいのにと思う。避けていては何ものも生まれない。
日本語は、恋するために生まれた言語である~小山薫堂f0234728_22135370.jpg


「いらっしゃいませ。このお店は今ではあまり使わなくなった日本語を売っている古言葉屋です。この一年、美しい言葉で着飾りませんか。あなたによく似合う、恋する日本語を見立てましょう」

閑静な住宅街にひっそり建つアンティークな洋館。
成人の日、
振り袖を着た女性(谷村美月)が
「恋スル日本語アリマス」の看板に誘われ扉を開ける。
奥には美しいマダム(余喜美子)。
棚から取り出したのは
「偶さか(たまさか)」:偶然・たまたま
「垂り雪(しずりゆき)」:屋根や枝から落ちる雪
「転た(うたた)」:ますます・非常に
「夕轟(ゆうとどろき)」:恋心のために夕暮れ方胸がさわぐこと。

セピア色の『恋する日本語』たちは
アコースティックな調べを伴い
詩や小説の中で鮮やかに蘇る。
NHKならではの趣向の番組だ。
ゲストの「女子力向上」のために、イマドキ言葉での解説つき。


短歌は現代語ばかりより古語を用いる方がずっと表現が豊かになるそうだ。
残念ながら私には短歌を詠む文才はないけど、眠っていた古語を取り出してみたくなった。

空が茜色に染まる黄昏は人が恋しくなる。
『夕轟』はいつか使いたい素敵なことのはです。
世は日本語ブームだ。
もう放送終了したが『みんなで日本GO!』のような視聴者参加番組や、日本語教師の奮闘のドラマがあった。
そんななか、私には最近気になっている言葉がある。

大学生の女子と話していた時だ。
話の途中に何度も「確かに」「確かに」と出てくる。あまりに頻繁に登場するので次第に気になってきた。
そういえば、我が娘も娘の友達も使っている。
タレントのDIGOの影響だろうか。でもイントネーションが違う。
「確かに」は本来は「あなたの言うことは至極もっともだ」と強く同意している言葉だと思う。

自分の考えを支持してくれていると思うと悪い気はしないから、無意識に話し手を喜ばせようと若い人は使うのか。
しかし何だ、この違和感は?
そんなに軽く頻繁に人の話に同意していいのだろうか。それとも「確かに」は「聞いてるよ」のような単なる相づち語になったのか?

確かに気になる「確かに」である。
日本は海に囲まれている国だ。
お陰で海の幸に恵まれ、私たちは一年中新鮮な魚を食べることができる。
だが海に囲まれているということは、こと日本に関しては、困った問題を引き起こす。国境問題だ。
韓国との間には竹島(独島)、中国・台湾とは尖閣諸島、ロシアとは北方領土が横たわっている。

先日、旅行会社企画による北方領土ツアーがあった。北方領土出身者のための里帰りではない。
ロシア側にビザ発行を請求したということは、北方領土を自らロシアの地と認めたと同義だ。
外務省のツアー自粛方針は徹底していない。それどころか追随する旅行会社もあるらしい。困ったことだ。
竹島問題は日韓基本条約ではふれず、先送りにしたのが火種の元となっている。

国境問題は一筋縄ではいかない。
漁業権や資源に関わるからだ。
日本の政権がころころ替わるのも解決を遅らせている。
政治家には外交手腕を発揮し、現実的な解決をしてほしい。もちろん私たちにも知識が必要だ。
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国境問題は外国人参政権にも関わってくると思う。
日本は外国人にとっても住みやすい国にすべきだ。それは絶対そう思う。だが、政治家となると話は別だ。政治家は国益のために働いてくれる人でなければならない。もし外国人に被選挙権が認められたら・・・選挙で選ばれた外国人の自国と日本が戦争したら、そこまでいかずとも国境問題で揺れたら、その時彼(彼女)はどうするか。外国人参政権は議論に議論を重ねばならない。
税金を払っているからと、安易に片づけてはいけない問題だと思う。

一口に外国人参政権といっても、地方自治、国政、それぞれに選挙権、被選挙権がある。どこまで、どの国の人に認めているか国によって違う。

戦争責任を徹底的に追求し認め、移民を積極的に受けいるドイツだがEU加盟国民しか地方参政権を認めていない。国がとるべき責任と、国があるべき政治とをきっちりわけているドイツはすごいなと思う。

日本が日本であるとはどういうことだろう。
国際化を叫ぶ前に考えねばならないことだ。
煮詰まる』には3つの意味がある。
①料理が煮えて水分がなくなる。   
②物事が行き詰っている
③討議・検討が十分になされて、結論が出る段階に近づく

本来③の意味だったのだが、いつの間にか『煮詰まる』といえば②の意味で用いられることが多くなってきた。
例えば「仕事が煮詰まっている」と聞けば、過半数の人が②の壁にぶち当たってにっちもさっちもいかない状態を想像するのではないだろうか。
これも閉塞感漂う現代社会の反映だろう。

時間と体力がいっぱいいっぱいで、焦燥感に駆られている、
今の私は"マルニ②"のヒト。
展望が開けゴールが見える、早くなりたい"マルサン③"に。

そんな“お疲れモード”の自分に贈るリクエスト、斉藤和義の『お疲れさまの国』です♪

お疲れさまの国

一日に何度も繰り返す そのことば
もしかしたら「こんにちは」よりも 多いくらい
そのひとの疲れに「お」をつけて「さま」までつけて
「おつかれさまです」と声かける ぼくらの日々

やさしくて強くて 一生懸命で
生きることはただそれだけでも 大変で
その愛も仕事も大切で 頭をさげて
「おつかれさまです」といいかわす ぼくらの国

※つらいのはわかってる だけどわからないよ
誰だってそれぞれ 隠した切なさは
ほんとうはいえなくて だから いうのだろう
ありがとう 大丈夫です おつかれさまです※

泣きたくなることもあたりまえ 坂道は
もうなんども経験したから 慣れてきた
そのひとの涙は拾えない 見ちゃいけない
「おつかれさまです」と微笑んで ぼくらの旅

こころは強くない だけど弱くもない
いつだって忘れない あのころ見た夢は
ほんとうはいいたくて だから いうのだろう
ありがとう 信じてくれて どうもありがとう

悪いことばかりじゃないことも 人生で
物語はまだまだつづくよ さあいこう
その夢も不安も闘いも これからだから
「おつかれさまです」といってみる このぼくに
(※リピート)

漢字が中国からはいってくる以前の言葉は『大和(やまと)言葉』というらしい。
大和言葉の特徴は
1.ラ行で始まらない 
2.濁音、半濁音で始まらない。


アレ?どこかで聞いたこの法則。実は『韓国語』と同じ。
『モンゴル語』もその仲間とか。
「それがどうした」と言われそうだが・・・・
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ラ行で始まる蓮根(レンコン)は古くから日本にある野菜ではない。
となると、濁音で始まる大根(ダイコン)も・・と話はそう簡単ではない。
大根はその昔、大和言葉では「おおね」と呼ばれていたとか。
漢字がはいってきてから、おお→「大」 ね→「根」と漢字にあてはめ「大根」と名付けたらしい。
だから大根という単語は日本語産の漢字語。
中国や韓国へ旅行に行って、「大根」と書いても通じない。

それにしても「おおね」とよんでいた古人(いにしえびと)は、大根をどう食していたのだろう。
今のような大根サラダや大根ステーキなど、思いもよらなかったでしょうね。
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